誘惑

  聖書のヤコブの手紙では次のような、誘惑に関する言及があります。

「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます」(1章13―15節)

  人が、罪人であるということは、ひとたび抱いた欲をなかなか打ち消すことができないということからも分かると思います。禁断の恋 、禁断の実と、よく聞きますが、禁じられたらなおのこと、やってみたくなるのが私たちの、罪人であるゆえんです。

  サタンはこの分野にかけては専門家で、歴史に残る誘惑をなしました。1つは創世記3章で、男を倒すため女が用いられました。女は、食べてはならない、と禁止されたことで強烈に食べてみたくなったのです。その実を男にも与え、結果、私たちに死が発生するようになりました。

  もう1つは、イエスさまへの誘惑です。イエスさまが、40日40夜、断食した後、石をパンに変えるよう誘いますが、イエスさまは、聖書のことばによって応答し、サタンは、イエスさまに打ち勝つことができませんでした。

  欲。それを狙い目として、サタンは動きます。最初は軽い造反でも行き着くところは、死なのです。

  神を恐れることが、悟ることの一歩となります。死からあなたを救ってくださるのは、十字架にかかってくださったイエス・キリストただおひとりなのです。

イスラエル北野

み声新聞2006年11月12日号(388号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)