ヨブ

 

ヨブという人を知っていますか。旧約聖書には、ヨブ記という巻があります。ヨブは主に熱心で、主もまた彼とその家族を多くの恵みをもって祝福しておられました。

 

 ある時サタンが主の前にやってきて、神が祝福を与えたそのすべてを失えば、いくらヨブであっても神をのろうでしょう、と訴えました。こうして、ヨブはすべての持ち物を失い、すべての財産と子どもたちを失いました。しかしヨブは、「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と礼拝し、罪を犯すことがありませんでした。

 

 それを見てサタンはさらに、命が的となるようなら、きっと彼はあなたをのろうに違いありません、と主に言いました。神は命には触れるな、という条件の中でサタンの働きを許可しました。ヨブは重い皮膚病にかかりました。それでも屈せず、ヨブは、「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか」(ヨブ記2章10節)と語り、罪を犯すようなことを口にしませんでした。

 

 その後3章から38章まで、延々とヨブは神に、自分の身に起こった試みの理由を尋ね求めました。

 

 試練に遭う時、私たちはその意味を知ろうとします。しかし、すぐには、その理由を知らされないことも許されます。私の場合もそうでした。病の中で神の沈黙の重みに耐えかねて、主に叫び、求め、尋ねました。しかし、私も「38章」まで待たなければならなかったのです。

 

 試練や弱さは、私たちを育てるために下さった神の賜物です。そして、神を知ること、これが私たちへの報いです。ヨブはこの後、以前にも増して2倍の祝福を与えられ、繁栄しました。私は20年目にしてようやく、私を苦しめていたいばらが、私を育てていたことを知りました。もっと年を重ねると、もっとその恵みを理解することができるでしょう。

 

 主は真実なお方です。聖書の勧めに従って、すべてを感謝していきましょう。

イスラエル北野