家出バック

 

 私が小さかったころ、仰々しいものではないのですが、家訓がありました。新聞を読め、情報に遅れるな。いつも小ぎれいであれ。それから、医者に行く時は足元をみられるな、というものもありました。

 

 これは、昔、ストレプトマイシンという結核の特効薬が出た初期のことですが、十分な量がなく、いわゆる庶民は、その薬の恩恵になかなかあずかれなかった時代があったようなのです。それで、その高価な薬を与えられるために、身なりをきっちりするよう、教えられました。

 

 また、結婚してから、主人が目を疑うような荷物がありました。それは「家出バッグ」です。夫婦げんかをした時の家出に備えて、日ごろから用意しているのです。聖書には「(夫婦は)もはやふたりではなく、ひとりなのです」(マタイの福音書19章6節)とあります。これから二人で一つとなって生きていこうとしているのに、なぜ家出バッグなどが用意されているのか、と夫は理解に苦しんだと聞いています。

 

 私としては、母が用意していた家出バッグを何度も見ていたので、これも負の遺産として、私も受け継ぎました。これに真っ向から責め立ててきたのは主人です。夫婦げんかの結末は、キリストの前に、互いに赦し、赦されていくことに尽きます。家出バッグは、いわば反則技でした。

 

 あれから19年、今では私の家に、「家出バッグ」はありません。代わりにスーツケースが2個用意されて出動を待っています。もちろん夫婦げんかのためではありません。イエス・キリストの福音宣教に出ていくためです。家出バッグには、傷や痛み、不信などが付きまとっていましたが、神はそのバッグを180度、益に変えてくださいました。

 

 あなたも、きっとどこかで、自分ではどうしようもない痛みや問題を抱えているかもしれません。どんなに悪いことがあったとしてもイエス・キリストはそれを良いことへ変えてくださいます。イエスをあなたの救い主としてお迎えしようではありませんか。

イスラエル北野