賛美に住まわれる神

 

 クリスマスが近づいて、多くの所で、クリスマス会が持たれています。私たちの教会の仲間たちも、あちこちから、ゴスペルコンサートに招かれ、大忙しです。幸いにも私たちのところにも、身体の不自由な子どもたちのクリスマス会で、賛美を歌う機会がやってきました。私たちは、音楽の専門家ではありませんが、心からの賛美を精一杯、神にささげたいと思っています。主は賛美の中に住まわれる、と聖書に書かれています(詩篇22篇3節より)。私たちの賛美を通して、主は豊かにご臨在され、一人一人に触れてくださると確信しています。

 

 もう20年も前のことになりますが、私は教会で「いつくしみ深き」をひとりで歌っている時、突然、主に触れられました。歌詞の中の「などかはおろさん、負える重荷を」(おまえはなぜ、持っている重荷を下ろそうとしないのか)ということばが、イエスさまのことばのように迫ってきて、私は主の愛に帰りました。

 

 人が人を一番美しいと感じる姿とはどのような姿でしょうか。私は、神を礼拝し、賛美をささげる姿だと思います。

 

 賛美には力があります。ある身体の不自由な姉妹のことです。皆で手を上げて賛美をしている時、私も手を上げて神を賛美したい、と痛切に思われたそうです。そして思わず手を上げた時、何十年も動かなかったはずの手が上がり、腕が伸びたのです。

 

 美しい歌なら、紅白歌合戦などで十分でしょう。しかし、私たちの歌は、ゴスペルは、賛美を通して神さまと触れ合っているのです。それゆえ賛美には喜びがあり、病のいやしがあり解放があるのです。

 

 もしあなたがまだイエスさまを救い主として受け入れていないなら、主をお受けすることをお勧めします。そして、賛美を通して主に触れられ、いかに神があなたのことを愛しておられるか、ぜひ、知っていただきたいと思います。

 

イスラエル北野