いのちを持ちたもう神 |
これは、伝え聞いたことですが、テレビで103歳になるおばあちゃんに、今までの人生の中で、これは必要なかった、と思うものは何ですか、と聞きました。おばあちゃんは、まず美醜と言いました。顔がきれいなどというのは一時的なもので、心の美しさこそが本当に大切だ、と語っておられました。
また、お金も必ずしも必要なものではない、と言いました。金は天下の回りものといいますから、それなりに暮らしていけるものがあったらそれでいい。多ければ多いで、問題の種になるのです。
聖書にも、「金銭を愛する生活をしてはいけません」(へブル人への手紙13章5節)という勧めのことばがあります。
お金は万能だ、お金さえあれば、何でも手に入る、と信じている人は大勢います。愛さえも、お金で買えるという人もいるのです。確かに、お金を使って、欲しいものを手にすることができるでしょう。しかし、いくらお金を出しても決して買えないものがあります。それは、神が下さる永遠のいのちです。聖書には次のように書かれています。 「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう」(マルコの福音書8章36-37節)
イエス・キリストを救い主と信じ、告白する者には永遠のいのちが与えられ、救われています。いのちは神のものです。イエス・キリストは私たちがこの永遠のいのちを受けるために、私たちのところへ来てくださいました。神の愛です。私たちにとって、一生とは短くもはかない命です。お金も大切なものですが、本当に必要なものを買うことはできませんでした。本当に必要なもの、大切なものは、私たちを見守り続けてくださる神によって取っておかれています。あなたもイエス・キリストを信じ、永遠のいのちの祝福にあずかってまいりましょう。
お金にではなく、神に仕える人生の方が、はるかに素晴らしいと私は思います。 イスラエル北野
「み声新聞399号」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可) |
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