力ある感謝

 あなたは、何を信頼し、何を土台として、生きておられますか。お金の力であったり、心許せる友だったり、両親、配偶者であったりするかもしれません。自分、と語るつわものもいるでしょう。

 

 私は、イエス・キリストこそ、私たちの信頼を受けるにふさわしい方だと思っています。聖書のことばは、まさにすべての土台です。ですから、最近、何があっても主を信頼する訓練を行っています。それは、すべてのことに感謝の祈りをささげる訓練です。教会では今、感謝の祈りを毎日1時間行うという課題が出されています。

 

 感謝の祈りの中心的恵みは、感謝できないことを感謝するということにあります。お皿1枚割ってしまって、「感謝します」ということは、まだたやすいですが、かつて自分をいじめた人や、いきなり予定外の用事が入ってくることや、自分が傷ついたこと、反対にこちらが、相手を傷つけてしまったりする時は、心が痛んで、なかなか感謝の声を出すことができません。口先だけで、感謝をするのに精いっぱいです。でもその一歩が大切なのです。それが感謝のスタートなのです。

 

 聖書には、「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない」(マタイの福音書12章20節)と書かれています。イエスさまは私たちの小さな感謝の一歩をさげすまれません。そしていつしか、イエスさまが赦してくださったから、私もまた人を赦し、自分を赦そうという心を受けるのです。

 

 さらに、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ人への手紙8章28節)とも書いてあります。

 

 感謝によって、私たちに赦しの心が与えられ、傷のいやしがなされるだけでなく、出来事そのものが、神の力によって益とされ、私たちの祝福に変えられてしまうのです。これは確かな約束です。

 

 人生には、問題と思える出来事は付き物です。しかし、イエスを信じ、感謝していくときに、私たちの人生は勝利の人生へと変わっていくのです。あなたもイエスさまを信じ、神とともにある人生の祝福を受けてください。

イスラエル北野