ことば

  最近、「ことば」という語がいかに含蓄深いものかをあらためて学んでいます。

  例えば、聖書では「ことば」とはイエス・キリストのことを指します。また、「ことば」によって、主は万物を保っておられます。

  犬や猫などの動物たちも、コミュニケーションを取るために鳴き声を上げますが、言語を所有しているとはいえません。「ことば」は、人が神の似姿に創造されたというところから、神が愛をもって授けてくださったのではないかと、私は思います。

  「ことば」は霊であり、言い送ったことを必ず成し遂げます。

  イエスさまの元に、いやしてくださいと訴えてきた人の多くは、直っていますと語ったイエスの「ことば」を信じ帰路に就きましたが、皆、イエスさまの「ことば」が語られたちょうどその時刻に、いやされていたのです。

  神のようにではありませんが、私たちもまた言葉を用います。簡単に言ってしまうと、口で語った通りのことが成る、という性質を持ち合わせています。例えば、バカだ、バカだと言われ続けたなら、本当に愚か者として成長してしまう、それくらいの力を言葉は持っています。

  ですから、肯定的な言葉を用いましょう。どんなことでも感謝しましょう。そして、喜びましょう。

  また聖書では、私たちが生前、口にした言葉は、やがては最後の審判で、そのすべてを神の前で申し開きをするようになると書かれています。

  その時、イエスを救い主として信じ、受け入れた者は、このさばきの座にあっても罪に問われることはありません。十字架で赦されているからです。

  あなたも主イエスを信じ、救いを受けてください。また、救われた者として、神のみわざが現れることばを語り、神の祝福にあずかる者となってください。

イスラエル北野

み声新聞2007年4月29日号(第412号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)