自責

 ある番組で、事故で子どもを失ったご家族のことを放映していました。お母さんがコンビニに立ち寄っている間に、後方から車が自転車に接触、自転車の後ろに乗っていた2歳の女の子が亡くなったという内容でした。

  わたしは、このご両親が、人に言い知れぬ痛みや悲しみを持つ故に、「悔い」や「自責」の思いを一生背負うのではないかと心配し、祈りました。

  なぜなら、わたしもまた、「悔い」を持つ身でした。3人目がおなかにいた時、3人目ということで、少し油断があったのでしょうか、おなかが張るのを感じても、もう9カ月だから大丈夫だろうと思い、そのままにしてしまいました。「具合が悪いな」とおなかに手を置くと、赤ちゃんの動きがありません。再び動いて、と期待して3日待ちましたが、動きませんでした。

  病院に行ったところ、3日もたっていたので、もう少し遅ければ、母体も危険であったことを知らされました。わたしだけでも助かって良かった、という人も、母親失格となじる人もいました。しかし、何を言われても言い返せませんでした。その人たち以上に、わたし自身が自分を、強く責めていたからです。

  悔いや自責は自分を滅ぼしていきます。

  イエスさまは「すべてのことについて感謝しなさい」と語られました。わたしは、自分の愚かさを悔い改め、持ちきれぬ荷に神にすがりました。そして神の助けによって、後悔の思いが感謝に変えられていきました。 感謝していくことができた時、神によって、わたしは少しずつ、荷から解放されていきました。

  イエスさまは心の荷を解いてくださいます。あなたも、このイエスさまを信じ、重荷から解放されてください。

イスラエル北野

み声新聞2007年7月22日号(第424号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)