1匹の羊を捜して

 

天の御国の父なる神の愛とは、どのようなものでしょうか。マタイの福音書18章には次のような記述があります。

 

「もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです」

  羊とは皆さんで、持ち主は神さま(イエスさま)だといわれています。皆さんは、愛され祝福されるために、神が心血を注いで造られた存在です。

 ところが世には、サタン(神の敵)という存在が動いています。皆さんの価値などないと言って偽りを語り、惑わしを掛けてきます。100匹の羊の中にはそれを真に受けてしまう羊もいるのです。しかし、罪にさらわれ、もう戻れなくなってしまったと感じてしまうほど遠くに迷い出たその羊を、神は捜し出してくださるのです。1匹ぐらいいなくてもいい、などと決して神は語っておられません。

  ルカによる福音書には、「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」(19章10節)と書かれています。

  イエスさまはわたしたちすべての罪を負い、十字架で死んでくださり、3日目によみがえられました。失われた人とは誰でしょう。それはかつてのわたしであり、皆さんではないでしょうか。 99匹を残して捜すほどまでに、神は失われた1匹の羊を愛されました。神の元へ帰りましょう。主は豊かに赦し、迎えてくださいます。神は、あなたをかけがえのない子として呼び、捜しておられるのです。

イスラエル北野

 

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