カリスマのみわざ

 1986年7月の夜、電話が変な鳴り方をしました。2回鳴ると、切れてしまうのです。何回も鳴るので、もしやわたしの家族に何か起こっているのでは、と思いましたが、受話器を手に取っても応答がありませんでした。

  翌朝、母より電話があり、「お父さんりゅうが、食道静脈瘤破裂で、重体なの。すぐ戻ってきて」というのです。

  わたしは徹底して祈り、帰りました。

  そして着いた病室。さぞ重苦しいものがあるだろうと覚悟してきましたが、そこにはもう神のご臨在があるのです。驚きました。

  母は、「あなたに電話したけどつながらなくて、昨夜、神さまに、お願いです、もう一度だけチャンスをください、と悔い改めて祈った」というのです。

  すると大風のようなものが病室に舞い、大勢の御使いたちが助けに来てくれたというざわめきがして、以来、平安であるというのです。

  また、母、わたし、妹と3人で患部に手を置きましたが、病人は妹の手だけをがっしり握り、離そうとはしませんでした。どうしてかと問うと妹の手は置くだけでそこが痛くなくなるのだそうです。妹は昼も夜もなくずっと手を置き続けました。そして数日後、出血は止まりました。

  カリスマの力を、身をもって体験した最初の出来事でした。

  イエスは、多くの病や患いを引き受けて十字架上で死に、3日目によみがえられた、世界でただ一つの救いです。そしてこの方を信じる者は「病人に手を置けば病人はいやされます」(マルコの福音書16章18節)というしるしが伴います。ですからどうか信じない者にならないで、信じる者となり、神のみわざと恵みにあずかる者となりましょう。

イスラエル北野

み声新聞2007年9月30日号(第434号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)