サービス精神

 わたしの弱いところは、人の顔色をうかがうというところにあります。良く言えば、サービス精神旺盛なのですが、しなくても良いことに手を出すことがあります。それは時に、人の命までも奪ってしまうこともあるのだ、ということをある事件で学びました。

  1989年8月、わたしたちの教会から、フィリピン宣教チームが遣わされました。日曜礼拝の当日、P牧師とわたしの夫は2つのチームに分かれて奉仕に当たりました。午後からは刑務所伝道に行くことになっていました。

  夫のチームは奉仕を終え、P牧師の帰りを待っていましたが、帰りが遅くなり、代わりにジャクリーン・ハミル宣教師が刑務所に向かいました。

  そして、事件が起こったのです。刑務所伝道に行ったクリスチャンが人質にされ、2日目には銃撃戦となり、ジャクリーンさんを含めて5名のクリスチャンが殉教しました。狙われていたのは日本人でしたが、主はそれを許さず全員が守られました。

  しかし、わたしは思うのです。刑務所に行くに当たってよく夫のチームに声を掛けなかったものです。また、夫も夫です。「わたしが行きましょう」とよく言わなかったものです。サービス精神で動くわたしなら、言ったかも知れません。そう考えると、事の重大さにわたしは青ざめました。

  人は人に受け入れてもらいたいがために、時に過剰サービスをしてしまいます。しかし、人が神の愛を知る時、人は

、人からの評価や、人を恐れることから解放されます。神に愛されているという平安な心が、その人を覆うからです。
  神の愛に帰りましょう。そして心に平安を得てください。もう人を恐れる必要はありません。

イスラエル北野

み声新聞2007年10月7日号(第435号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)