その深き神の愛

 遅めの夏休みを頂き、徳島に帰省しました。弟の子どもに、6歳になる男の子がいます。会うのは2度目ですが、なぜかわたしを慕ってくれます。

  子どもと遊ぶことは、ある理由から、本来苦痛を感じるのですが、「希世子おばちゃんと遊びたいんだ」と指名を受け、教会の会堂でカマキリを放して遊びました。輝く瞳、信頼に満ちた笑みを見ているうちに、胸が締め付けられ、涙が出てきました。「主だ」と分かったのです。

  もう10年も昔になりますが、わたしは胎の子を天に送りました。母の胎を開く男子の初子は主のものであると聖書にもあるので(ルカの福音書2章23節参照)、その誕生を待たれていた子でした。しかし彼は、そのことば通りに、主の元へ引き上げられていきました。

  ちょうど教会で、すべてのことを感謝することを学び始めていましたので、搾るように感謝しましたが、男の子を見るのがつらく、いつしか心を閉ざしていました。そこに主は触れてくださったのです。

  イザヤ書に、「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない」(49章15節)という一文があります。

  わたしのような者でさえ、胎の子をあわれみ、そのわき上がる愛に涙を流すのです。ましてや神が、どうしてあなたのことを捨てておかれるでしょうか。

  神は、わたしたちに、ひとり子イエスを下さいました。イエスさまは、わたしたちの罪のために十字架で死なれ、そして復活し、救いを成し遂げられました。この深き神の愛から漏れる人は一人もいません。

  主はあなたのために命を捨ててくださいました。主の元に帰りましょう。

イスラエル北野

み声新聞2007年10月21日号(437号) 」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)