愛は姿こそ見えませんが、最高にわたしたちを感動させるものです。
しかし、残念ながら、いつもそこに気付くという訳ではありません。神は愛です。愛を知るということは、神を知るということと等しいのです。
愛のひとつの姿として、わたしは、「身代わり」ということを提唱してみたいと思います。
というのも、わたしが初めて愛を知ったのは、半年も入院する大きな病をした時のことです。父が知人に「代われるものなら代わってやりたい」と漏らしていた言葉を聞いた時です。親のありがたみを知りました。
愛は、喜んで自らを捨てます。犠牲になることをいとわぬこころです。
皆さんは、なぜイエスさまが十字架で死なれたか、ご存じでしょうか。それもまた、わたしたちの「身代わり」故なのです。
わたしたちの内には誰一人として例外なく罪があります。そして罪の行き着く先は、死と滅びです。その人生を神はあわれんでくださったのです。
神はひとり子イエスを取り、彼の上に、全人類のすべての罪を置き、十字架でさばきをなさいました。キリスト
・イエスはわたしたちの代わりに死に、3日目に神の力によって復活されました。この十字架のあがないを信じ、わたしのためにイエスは死なれたと受け取る時に、あなたは救われます。そして、神の子とされ永遠のいのちを受け、神の元に帰ることができるのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネの福音書3章16節)
イエスを信じ、福音を受け入れましょう。
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