確かな土台

 人生の中で、何を土台とするか、それによって人生の成否が分かれます。

 多くの人にとって答えは、やはりお金でした。お金さえあれば何でもできる、お金は裏切らない、愛までも買える、そうまで言った人もいます。

 10年以上も前のことですが、あるご夫妻が、ある地方の教会の牧師として導かれていました。摂理的なことまで起こり、神は確かにご夫妻を選んでおられました。

 ご主人は当時、出版関係の企業で仕事をされていました。あと2年ほど勤めれば、何らかの手当てに該当するということがあり、老後は楽に暮らしたいという思いから、開拓に踏み切れないままでいました。そして代わりの人が牧師となって遣わされていきました。まず経済が満たされ、生活が保障されるなら、彼でなくても喜んで牧師の道を選んだことでしょう。神はこうしてわたしたちの心を探られるのです。

 時が過ぎ、彼が待ち望んだ2年が満ちる前に、彼は会社の業績の悪化により、リストラされました。彼の読みは外れたのです。

 何を人生の土台とするか、これによって明暗が分かれます。そして、わたしは、神に聞き従うという土台をお伝えしたいのです。

 世の人はお金や財、これらに価値を見いだしますが、それらもやがては朽ちていきます。何よりも、それらはあなたを救うことはできません。しかしイエスキリストはあなたを救い、養い、あなたの力になってくださいます。

 神のことば、すなわちイエスキリストに土台を置く人こそ人生の勝利者です。

 「彼に信頼する者は、失望させられることがない」(ローマ人への手紙9章33節)
 

イスラエル北野

み声新聞2007年12月30日号(第447号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)