弱さから強さへ

 わたしは、幼少のころから体が弱く、よく病院に入院しました。思春期を迎えてからは、37度を少し超える不明熱にも悩まされました。

  大人たちは相集い、長い目でゆっくりと見ていきましょう、と打ち合わせましたが、当人であるわたしは、自分を顧みてなんと脆弱な精神なのだろうと、情けなくて涙が出ました。

  このころからわたしは、幼いころに信じていたイエス・キリストに救いを求め始めました。そして、ある教会で主イエスに出会い、救われました。

  当時、わたしは文学を専攻しており、救われていたにもかかわらず、漱石などを取り上げ、漱石の宗教に入るか精神病になるか自殺するかしかない、という言葉に強く影響されました。その結果、わたしは再び、2年以上もかかる重い病気になりました。病院のベッドの上で、わたしは身じろぎ一つもできませんでした。しかし、この時、これがあなたにとって強さなのです、という語り掛けを聞いたのです。

  もしわたしが弱くなかったとしたら、わたしはキリストを知ることもなく、うたかたの世のむなしい成功をつかんで満足をしていたかもしれません。それどころか自分を見限って死んでいたかもしれないと思います。

  聖書に「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ人への手紙4章13節)とあります。「私を強くしてくださる方」とはキリストのことです。

  弱さは本当の強さに出会うための通過点でした。そして本当の強さとは、キリストが共におられるということです。

  イエスを主と告白し、福音を信じましょう、イエスは共におられます。
 

イスラエル北野

み声新聞2008年2月10日号(第453号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)