種の幻

 今からおよそ20年前の、思春期のころのわたしの話です。わたしは突然の病が許され、教会から離され、郷里の病院でひとり、この時が過ぎていくのを待たされていました。

 その時、神さまはわたしに1つの幻を見せてくださいました。それは1つの種の幻でした。

 土の中深くに、1つの種がありました。毎日この種を見ましたが、いつも同じようにただあるだけでした。

 ある日、神さまが語ってこられました。「娘よ。この種は生きているのですか。それとも死んでいるのですか」。わたしは、これはわたしのことを語っているのだと気付きました。それで主に「生きています」とお答えしました。


  そうすると、種から根が伸び始めていきました。死んだと同然の種が、命を見せ始めたのです。

 主は、はつか大根のように20日で収穫できる種もあれば、20年かけて発芽する種もあるのだということを教えてくださいました。わたしは、死んだように見える動きのない種でも、決して死んではいないことを、そして神を信じることを教えられました。


  聖書の伝道者の書に有名な詩があります。

 「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。(略)神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(3章1〜11節)

 人は時を移すことはできません。それは神のみわざです。また、わたしたちは、状況で良い悪いと決めてしまいがちです。しかし、どちらも神から来ています。わたしたちに許される1つ1つの時を感謝をもって待ち望みましょう。必ず時満ちて神の祝福、栄光の現れを見るのです。


イスラエル北野

み声新聞2008年5月25日号(第468号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)