安息

 旭川は、非常に空の美しい所です。

 病床にある今のわたしの楽しみの1つは、窓の外を流れるくっきりとした水色の空を見ることです。雲は左から右へとゆっくり進んでいきます。誰にほめられるわけでもないのに、雲のパフォーマンスは続きます。それをひそかな楽しみとしているわたしが居ます。

 造られたものを見ていると、造られた方が見えてくるものです。空に関して聖書には次のように書いてあります。

「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」(詩篇19篇1節)


  大空を見つめていると、神さまは何と大きなお方であるか、その被造物が何と素晴らしいものかと、神の創造のみわざの偉大さを再認識し、神をほめたたえずにはいられません。

 神は、わたしたちがこのような被造物を通して、わたしたちの造り主を自然と知るようにと定めておられるのです。

 被造物を見て神を知り、神さまをたたえていくと、神さまのご愛をふつふつと感じ、喜びがわき起こってきます。

 創世記には次のような記述があります。「神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである」(2章3節)

 休むことには大きな意味があります。聖書によるとこの日は聖とされています。神は安息のための日を設けられました。そして、それを学ぶよう勧めておられます。それは安息日は、創造主を覚える日だからです。

 神をほめたたえ、その御手の栄光を賛美しましょう。わたしたちの手の業を置き、神をほめたたえ、そして神に仕えていくことに、わたしたちの人生の本当の意味があるのです。

イスラエル北野

み声新聞2008年7月20日号(第476号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)