ふさわしくない者

 かつてわたしもそうだったのですが、キリスト教の信者となっていく人たちを、なぜそんなに簡単に信じ救われていくのかと、ねたむような思いを持って見ていたことがあります。

 こういう、わたしのような人は結構大勢います。自分は神の恩恵を受けるにはふさわしくない。犯してきた自分の罪や過ちは、そうやすやすと赦されてはならないし、赦されるはずはない。こんな罪悪感を隠し持っているのがこれらの人たちの共通した特徴です。

 しかし、イエスの福音は人を選ぶでしょうか。また、神の一方的な恵み以外に福音を受けるにふさわしい人など、果たしているのでしょうか。

 ルカの福音書の18章には、神の前に祈った2人の人の記述があります。

 1人は、当時のエリートであったパリサイ人です。彼は、「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します」(11節)と祈りました。

 一方、その取税人は、遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて、「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください」(13節)と言いました。

 聖書は、「この人(取税人)が、義(正しい)と認められて家に帰りました」と書いています。

 神の前で「自分は正しい」と言える人はいないのです。「わたしは罪人だ」―そう認める人こそ、神の前で正しい人なのです。

 わたしの罪は大きい、そう自分を罪人として認めているのなら、あなたこそ福音にふさわしい人なのです。イエスを信じましょう。そして神の救いの恵みにあずかってください。

イスラエル北野

み声新聞2008年8月17日号(第480号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)