今、ヤングを中心に確立しつつある、ある造語があります。例えば、「JK(女子高生)」「ND(人間としてどうよ)」「3M(まじもう無理)」などで、単語の頭に来るローマ字2文字で隠語として用います。
その中の1つに「KY」という語があります。「空気読めない」の略ですが、この語に関しては、そろそろ社会全体に認知されてきているように思います。わたしは、このKYの出現に、極めて日本人的なメンタリティーのありようを感じさせられます。
昔、江戸時代には、隣組という制度がありました。建前は互いに助け合う付き合いです。しかし、この制度は互いに互いを縛りもしました。
KYはまさに人を恐れさせることにも通じてきます。わたしたち日本人は、和をもって尊しとなすという長年にわたるメンタリティーがあります。
しかし、人が神に近づく時、真理を求めるという基盤が必要とされます。
互いを見合うという生き方は神から遠いのです。
人が何言おうが真理を求める、この決意がわたしたちには必要となります。
「人を恐れるとわなにかかる、しかし主に信頼する者は守られる」(箴言29章25節)という教えが聖書にあります。
互いの関係は大切ですが、それ以上に大切なのは神との関係です。
聖書に「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」(マタイの福音書6章33節)とあるように、神を求めまた信じるところに、一切の守りがあります。
KYの壁を乗り越え、主を求め始めるなら、主はその働きを助け、あなたの人生を祝福してくださいます。
あなたにとって必要なのは父なる神ご自身を知ることにあるのです。
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