宗教は登山?

 救われてすぐのころ、学生伝道といって、イエスさまの福音を大学のいろんな人に話し続けました。

  それを受け入れクリスチャンになった人もいますが、ある人の意見はこうでした。

  「宗教とは山に登るようなものだ。どの道を選んでも、その道を進むなら必ず頂上に到達する。何の宗教でも入り口が違うだけで頂上は皆、一緒である」。なかなかうまい例えです。

  確かに、山に登ることとその道のりの厳しさは、宗派を問わず同じでしょう。そして、高く登るうちに、今まで見えなかった頂上が見え始め、何かを得たように感じる喜びも、また同じといえます。

  しかし、聖書には、イエス・キリストについて次のような言及があります。

  それは「だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です」(ヨハネの福音書3章13節)ということばです。

  キリストを信じることは一般にいう、山に登る例えとは違います。山に登り、頂上にたどり着いてもそこは天ではありませんし、そこに救いはないからです。

  しかし、元から天におられ、その天から来た方は、確実に天に行く道をつくることがおできになります。それが十字架の贖いという救いの道です。

  十字架の贖いは完全です。信じたその瞬間にあなたは救われた者となり、天の御国の国籍を持つ人となります。救いを得るために、山に登るような努力や修行は必要ありません。ただ信じるだけです。

  どうぞ、イエス・キリストを信じ、この完全な救いを自分のものとしてください。

イスラエル北野

み声新聞2008年9月21日号(第485号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)