人生の休息

 現代は、とかくスピード社会です。同じ事をするにも、短い時間でそれを行うことができれば、確かに余った時間で他の事を行うことができます。時は金なりという言葉があるくらいです。

  わたしも「休むことは怠け者のすることだ」と休まないで働くことが美徳であるかのような話をよく聞きます。しかし、一歩間違えると人は忙しさの中で自分を見失ってしまいます。

  昔読んだ本に、ミュージカル「モモと時間泥棒」の原作となった『モモ』(ミヒャエル・エンデ著)という本があります。普通の生活を楽しんでいた人たちに、時間泥棒たちが近づき、もっと時間を大切にするようにと言葉巧みに説得します。その結果、人々は時間を大切にしようとするあまり、自分の楽しみや息抜き、休みなどあらゆる事柄を捨て、ただひたすら忙しさの中で生きていくようになってしまう話です。

  聖書では休むことの大切さを教えています。モーセの十戒にも「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」(出エジプト記20章8節)とあります。ただ、何のために休むのかに大きなポイントがあります。それは、創造主(イエス・キリスト)を覚えるためです。

  自分を造られた方を知り、その方を覚える時、わたしたちはわたしたちの人生の目的、わたしたちの存在の理由を知り始めていきます。

  休むことを惜しみ、忙しさの中で多くのことを成し遂げても、神を知らずに死んでいくなら、その人の人生(時間)はすべて無駄に終わってしまいます。

  人生には休みが必要です。それは、神とゆっくりと交わる時です。

  イエス・キリストを信じましょう。そして、神の元で安息しましょう。その時、神はわたしたちの人生を正しく導いてくださいます。

イスラエル北野

み声新聞2008年10月19日号(第489号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)