吝嗇家(りんしょくか)

 わたしの家の近くにレストランがあり、そこに普通の生活をしていた兄弟がいました。ふとしたことで彼らは遺産を相続しました。すると、人が変わりました。

  店を閉め、車3台を新車で購入し、いい暮らしを見せましたが、しょせんは臨時収入、あっという間に金にサビがきて、元の貧しさに戻るのに時間はかかりませんでした。

  聖書の箴言には、「初めに急に得た相続財産は、終わりには祝福されない」 (20章21節)と書いてありますが、本当にその通りです。

  確かに、世の中には本当の大金持ちがいますが、聞くところによると、皆、一様に吝嗇家(けち)だそうです。わたしは、食うに困らない収入があればそれでいいと思うのですが、彼らは、お金は使わないように減らないように、もっともっとお金を求めているのです。

  ヘブル人への手紙では、「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい」(13章5節)と勧められています。

  箴言では、「富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ。あなたがたがこれに目を留めると、それはもうないではないか」(23章4、5節)。こう語られています。

  お金と富とは別物です。わたしたちが生きていくのにお金は必要です。富は、差し当たっての必要を払って残るお金であって、多くの人がこれを手に入れようとあくせく働いているのです。

  幸せは、どこにあるのでしょう。天の御国、神が共におられることがその答えです。やがては消え去っていくお金にではなく、必要を知ってくださる神の元で安息することを、わたしは楽しみにしています。

  イエスを信じ、まことの平安を得てください。

イスラエル北野

み声新聞2008年11月9日号(第492号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)