わたしたちには、生まれながら2つの耳が与えられていますが、この耳というのは、心とともに結構侮れない働きをします。

  というのは、耳は音を拾いますが、それはわたしたちの心と深く連動し合っているからです。

  わたしたちは、無意識の中で、自分にとってこれは必要情報かそうでないか、常に情報をコントロールしています。現代はあまりにも情報が多いので、自然と情報は選別されていくのです。

  聖書の黙示録には、7つの教会に対する神のメッセージが書かれていますが、必ずその後にこう語られています。 「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい」(ヨハネの黙示録2章7節ほか)というものです。

  さらには、マタイの福音書ではそれをこのように書いています。「この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。しかし、(中略)あなたがたの耳は聞いているから幸いです」(13章15、16節)

  神のことばは平等に語られていますが、聞く耳のある者には聞こえ、聞く耳のない者には聞こえないのです。

  そして、これこそが神の選ばれた救いの道筋なのです。耳が拾うものをもって、わたしたちの人生は決まります。

  聞く心さえあれば誰であれ必ず神に出会います。求めていた真理も開かれることでしょう。

  神はいのちです。神はおひとりです。悟る心でこの方に心を向け、この方のことばを聞くならば、このお方こそ救い主であり、わたしたちに永遠のいのちを与えてくださるお方であることを知るでしょう。

イスラエル北野

み声新聞2008年11月16日号(第493号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)