5時からの人

 マタイの福音書に、イエスが天の御国を労働者のたとえを用いて話されている個所があります。(20章)

  ぶどう園の主人が朝早く労働者を雇いに行き、1日1デナリの約束で彼らを園にやりました。

  9時にも12時にも3時ごろにも仕事にあぶれた人々がいて、相当のものをあげるからと言って園にやりました。

  5時になって、1日中雇われなかった人々がいて、その者たちもぶどう園に行くよう言いました。

  やがて夕方になると、5時に雇われた者から順に賃金が払われました。5時からの人は1時間しか働かなかったのですが、1デナリを頂きました。最初に呼ばれた者たちは、もっと多くもらえると思いましたが、彼らも1デナリでした。ブーイングが起こりましたが、約束通りではないかと言われ、取り合ってもらえませんでした。

  ところで、5時から働きに出た人たちは一体どういう人たちだったのでしょうか。聖書から推測するに、どこからも誰からも必要とされていないホームレスの人たちです。

  世が受け入れない、また受け入れてもらえないこのような人たちを、イエスさまは拾い上げてくださいます。

  イエスさまに仕えるという人生も同様です。もしあなたが「自分の人生はもう5時だ」と思っても、出て行きましょう。神の前に遅いということはありません。

  もう自分は駄目だ、自分の人生はもう尽きたんだ、と人生を捨てた人たちでも、分け隔てなく報いてくださるのです。

  イエス・キリストの元に来ましょう。彼のその愛によって建て上げられ、恵みによる人生を歩んでみてはいかがでしょうか。

イスラエル北野

み声新聞2008年12月7日号(第496号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)