信 仰

 イエスさまがよみがえられて、弟子たちに現れた時、そこに居合わせなかったトマスは、しばしば不信仰の人として紹介されます。イエスの復活をかたくなに信じようとしませんでした。

  イエスさまは、後に彼に現れて、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」(ヨハネの福音書20章27節)と諭されました。

  信仰ってどういうものでしょうか。 神さまは理解させてくださるために、銀行のたとえを示されました。通帳に○月○日に100万円振り込みますという確かな約束があったなら、まだその期日でなく、お金が今無くても、あるかのように喜びます。

  また、曇りの日には、暗雲が立ち込めて光が入ってきませんが、わたしたちは雲の上に変わらぬ太陽があることを知っており、また信じています。

  両者とも、実体を得たわけではありませんが、そのものを確信しており疑うことがありません。これが信仰の1つの姿です。

  また信仰は行いを通して動くものでもあります。ある兄弟が電話の必要を覚えて祈っていました。電話機を持ってきて、回線がつながっていないのに、つながっているように話をするなどして、信仰を用いたところ、数カ月後に結果を見ました。回線を付けるお金が与えられたのです。

  イエスさまは弟子たちと共に宣教の御働きをなさいました。その時、しばしば「あなたの信じたとおりになるように」(マタイの福音書8章13節)、などのことばを語られました。

  神を信じ、信仰を用いることは神のみこころです。わたしたちが信仰によって、祝福を引き出していくことを神は望んでおられるのです。

イスラエル北野

み声新聞2008年12月14日号(第497号)」 転載についてみ声新聞社の承諾済み(無断転載不可)