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不登校からの回復

 

 

 

愛が冷める時だからこそ 家族の回復 ~ 不登校の息子を変えられた神


 私たちの人生の中には、必ず試練の時があります。自分の力でどうすることも出来ない弱さや罪の中に埋もれてしまい、苦しみもがいても抜け出せないような時があります。ましてサタンがその罪と弱さを激しく攻め立ててくるとき、もう自分の人生はこれでおしまいではないかと思いたくなるような気持ちになってしまうことさえあります。
  まして自分の愛する家族がその苦しみの中で戦っているとき、私たちの心はきりきり痛みます。何とかしてあげたくても、どうしてあげることもできないとき、私たちはうろたえたり、悲しんだり、時には取り乱してしまうものです。特に母親は自分の子どもがそういう状況のときは、自分のこと以上に大変苦しい思いになるようです。
  もしあなたが神様を知らないなら、あるいはイエス・キリストをまだ信じていないなら確かにあなたにとってそのような状況は絶望的に見えることでしょう。しかしもしあなたが、十字架の恵みと力によってすべてのことを益に変えることのお出来になるイエス・キリストを信じて、この方に祈るなら、その最悪と思える状況が必ず祝福へと変えられていくのです。
  後の日に必ずそのことがあなたの愛する者の人生にとって祝福と変えられていることを見出すことでしょう。
  つい先日、私が仕えている神のしもべ長崎教会で弱冠20歳で副牧師になった青年がいます。彼の人生の中にもとても辛い試練の時がありました。彼も、一人息子の彼のことをこよなく愛していた両親もどうすることも出来ない辛い日々を送らねばならない時がありました。でもそのことの中で、彼の両親は神に向かって叫び祈りました。その祈りが、今彼の人生の中に大きな祝福となって若くして副牧師になる恵みを神様から頂くことになったのです。
  今月は彼の人生に許された試練と、そのことを通して与えられた神様の彼の家族に対する祝福を書いてみたいと思います。


突然の不登校
  彼は中学2年生の2学期から、突然、学校に行けなくなりました。いわゆる不登校になってしまったのです。どうしてか自分でもわからないのですが、すべてのことに対して無気力になり、勉強はもちろん何もする気がなくなってしまったのです。学校に行かずに彼がすることは、ボーっと過ごすか、テレビゲームをするか、そんなふうにして何となく日々が過ぎていきました。これではまずいと思うのですが、やっぱり朝になると学校にはどうしても行けないのです。また行きたいとも行こうとも思えないのです。
  彼の両親はクリスチャンでした。彼も小さいころから日曜学校に通い、小学生のときにすでに洗礼も受けていました。彼の両親は、彼のために何とかしようとしましたが何をしてもだめでした。
  それで彼の両親はもう自分たちに出来ることは祈ることだけだとわかったのです。お父さんとお母さんはそれから毎晩祈りだしたのです。
  彼の家は当時二階建てでした。二階に彼の部屋があり、下に居間と両親の部屋がありました。ところが毎晩夜になると、両親は二階の彼の隣の部屋に来て彼のために祈りだすのです。それはたいてい夜中だったそうです。夜なかなか眠れないでいると、隣の部屋から両親の祈りの声が聞こえてきます。真剣に自分のために神様に祈り叫んでいる声を聞きながら、彼は思ったそうです。明日こそは学校に行こう。必ず行こう。
  ところが、翌朝になると体が動かないのです。あちこちが痛んだり、どうしても起きれなかったりと、結局やっぱり行けないのです。彼はそんな自分にますます落胆しました。神様にも両親にも喜ばれないことをしている自分、でもそんな自分をどうすることも出来ないのです。
  もしかしたら、これを今、読んでいるあなたもそんな状況の中にいるかもしれません。あなたの愛する子がそんな痛みと苦しみの中にいるかもしれません。そして絶望的な気持ちの中で日々悲しみながら過ごしているかもしれません。祈ってもすぐに答えが来ない中で神様がわからなくなりかけているかもしれません。
  もしあなたがそのような中にいるなら、あなたに知ってほしいことがあります。神様はあなたの祈りをしっかりと聞いておられ、その苦しみと自分でどうすることも出来ない弱さと罪の中から救い出し、すべてを必ず益に変えてくださるということを。
  あなたが神様にすがり、イエス・キリストの名によって祈るなら、必ず神様は最善の時に最高の恵みの御手をもって、私たちの思いをはるかに超える解決と勝利を与えてくださるのです。
  だからあきらめたり投げ出したり、落胆したりしないでください。
  祈り続けましょう。信じ続けてください。神様はどこまでも真実な方です。私たちに必ず祝福を与えてくださる方なのです。


学校に行けないことを感謝する
  彼が学校に行けなくなって半年が過ぎました。両親は祈り続けていました。毎晩毎晩、神様の前に出て。
  彼は学校には行けなくなったのですが、教会にだけは毎週必ず行っていました。その教会から、春休みに子どもたちのためと世界的に有名なあるアメリカの感謝と賛美の器のセミナーに行くツアーが企画されました。それは約一週間でした。彼の両親は彼をこのツアー(派遣)に参加させるように主から導かれたのです。彼も行ってみようという気持ちになり教会からのツアーのチームだったこともあり参加することになりました。
  しかしそれで何かが変わったわけではありませんでした。ただ彼も両親も今まで何とかしようとばかりしていたのですが、このツアーの中で聞いたマーリン氏のセミナーを通してすべてのことについて感謝するということを実践し始めたのです。
  親子でいっしょに祈りながら、学校に行けないことも感謝しはじめました。そうすると今まで学校に行きたいという気持ちがどうしてもわいてこなかったのに、行ってみよう、行きたいという気持ちが起こってきたのです。でもすぐに行けるようになったわけではありませんでした。でも確実に彼の心も両親も変えられていったのです。
  そして中学三年生の二学期が始まるとき、彼は学校に戻りました。毎日学校に行くようになったのです。彼も両親も本当に神様に感謝しました。学校に行くというだけのことと思う方もいるでしょう。でも彼と両親にとってそれは本当に大きな祝福だったのです。


高校受験
  しかし学校に行き始めると、今度は高校受験のことが迫ってきました。彼は一年近くも学校に行っていなかったので正直もうあきらめていました。でも本当は高校には行きたかったのです。
  一番大切な時期に学校を休んだので学力的にも、もう自分は高校には行けないだろうと思っていたときに、先生から高校進学は十分出来るということを言われました。彼は本当に嬉しかったようです。両親に神様に心から感謝しました。そして彼は祈りました。神様にどこの高校に行けばいいかを祈って聞いたのです。
  祈りと感謝によって学校に戻ることが出来た彼は、高校に行くときに、まず神様に祈りました。するとある高校を示されました。彼はその高校を受験しました。ところが落ちてしまったのです。彼は落胆しつつ別の高校を受けるとその高校は合格しました。その高校に行こうと思ったのですが、もう一度彼は祈りました。するとどうしても最初に示された落ちてしまった高校が示されるのです。二次試験はないのかと調べてみると、二次試験はないのですが、通信制がありました。
  彼は迷いました。でも神様にどんなに祈ってもその高校が示されるので両親とも相談してその示された高校に彼は入学しました。


息子が出したキャンプ費用
  高校生活の四年間(通信制は四年間なのです)、彼は毎日、朝から昼はケンタッキーでアルバイトをし、夜は神学校で学び、休みのときにもたれる高校のスクーリングには休まず必ず出席してよい成績で卒業することが出来ました。
  しかもその高校生活の中で自分のために祈ってくれた両親に親孝行をする機会が与えられたのです。
  私たちの教会では、夏に白馬でキャンプがもたれます。最近では1000人近い人々が全国から集まるこのキャンプはとても祝福されるキャンプです。
  彼が高校四年の夏、家族でこの白馬キャンプに参加しようと思いました。ところが自衛隊を辞め、献身して牧師になった父親はいろんなことの必要のため、このキャンプに参加したくてもそのための経済がありませんでした。
  両親は祈っていました。もちろん彼も両親と一緒に祈っていました。そのとき、彼は神の声を聞いたのです。あなたがそのお金を出しなさい。あなたのアルバイトのお金をそのために使いなさいと。その声を聞いたとき、彼は嬉しかったそうです。両親のために、自分のために祈ってくれた両親のために、自分も助けをすることが出来る、そう思うと本当にうれしかったそうです。
  彼の父は牧師会の時に、他の牧師たちに「今年も白馬に行けることになりました。息子がバイトで稼いだお金で家族全員参加できるようになりました」そう泣きながら報告していたことを私は忘れることが出来ません。
  学校に行けなかった子が今自分たち夫婦を助けてくれている、そう思ったとき、お父さんはどんなに嬉しかったことでしょう。神様は誰も考えないようなすばらしい逆転のシナリオを用意されていたのです。


両親の祈りをはるかに超えて答えられた神
  彼は高校を卒業すると、両親が牧師をしていたその教会から、私が仕えている教会へ牧師になるための訓練のために引っ越してきました。もちろん神様に十分に祈り両親にも確認したうえでのことです。
  それから半年、神様は彼を弱冠20歳で副牧師として立てるように私に語ってこられたのです。正直私はためらいました。でもどんなに祈っても確かに主が召されたので立てることにしました。
  いま彼に任せている若者たちの働きはとても祝福されています。若者たちが増え、かつ一人一人の神様への愛と献身が強くなってきています。彼にとってマイナスでしかなかった不登校のときのことは彼にとっていまはむしろ祝福となっています。
  両親の祈りは両親の願いと思いをはるかに超えて答えられたのです。
  これが神です。これが私たちの信じている神様なのです。


あなたの家族にも現される主の真実と勝利
  あなたの人生に今何が許されていたとしても、あなたの愛する者に今どんなにマイナスと思えることが許されていたとしても、そしてそこからどんなに頑張っても抜け出せないでいたとしても、どうかあきらめないでください。私たちには必ず祈りに答えてくださる方主イエス・キリストがおられるのです。
  あなたの愛する息子のために、あなたの愛する娘のために、さあ、ひざをかがめて祈りましょう。
  あなたの愛する妻のために、あなたの愛する夫のために、神様に向かって叫びましょう。必ずその祈りは答えられるのです。私たちの願いと思いをはるかに超えて神様は必ず祝福してくださるのです。
  たとえ私たちには遅く思えても、神の時は遅れることはありません。だからどうかあきらめないで神様を信じ続けましょう。必ず主の真実な報いと勝利が現される時がやってきます。
  あなたにも、あなたの愛する人にも、そうあなたの家族にも。
  主はどこまでも真実な方だからです。

(イザヤ木原真牧師)

月刊「雲の間にある虹」(発行:雲の間にある虹出版)2003年1月号より転載)

 

 

 

わたしの目にはあなたは高価で尊い-神のいやしと解放

-『わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ書43章4節)
主が与えられた試練。それは主の愛と真実を知るためでした。


アトピー性皮膚炎のいやし
  「教会に行けば病気が治るよ」それは私の母に、親族で唯一のクリスチャンであった叔母が言った一言でした。私が生まれてすぐのころ、私は病気になりました。それはアトピー性皮膚炎という病気でした。症状は全身に現れました。血が出るまで体を掻きむしりました。毎日激しい痒みと痛みに襲われ、苦しめられるのです。そんな私を見て最も苦しんだのが母でした。母は私のために毎日私を病院に連れて行き、薬を飲ませました。「これが効くと言われれば、なんでも試しました。さらには何十万もする医療器具をも買いました。しかし、何をしても治りませんでした。もちろん治療を受けることで痒みが納まることもありましたが、1日もすればまた痒みに襲われました。そうして8年間ほど苦しみました。そんな時に叔母が「教会に行けば病気が治るよ」と言ったのです。母はわらをもすがるという感じで私と兄を連れて教会へ行きました。私たちは初めて教会へ行ったのですが、すぐにイエス様を信じる事が出来ました。牧師にいやしのために祈ってもらい、私と母も「イエス様、アトピーをいやしてください。」とその時初めて祈りました。そして毎週教会に行くようになり、救われて数カ月後には親子3人で洗礼を受ける事が出来ました。
  洗礼を受けて数日後、私は自分の体の変化に気付きました。体のどこにもアトピーが無いのです。初め私と母はこう思いました。「今回は薬が効いているなぁ」しかし、1週間経っても、1カ月経っても、アトピーは出てこないのです。そして気付きました。イエス様が完全にいやしてくださったのです。何も特別な事はしていません。教会へ行き、イエス様を信じるだけで私はいやされたのです。


順調だった日々
  アトピーがいやされた後も私はとても祝福されました。中でも学校生活は特に祝福されました。友達はたくさんいました。勉強もスポーツもできました。5年生になるとサッカー部に入部し、自分が夢中になれる物も見つけました。すべてが順調でした。小学校を卒業し、胸躍らせて中学校へと入学しました。しかし、一方で私は教会に行かなくなっていました。母が行かなくなったからと思っていましたが、思い返せば私自身も「日曜日は試合がある」と言って、教会へ行かない事を選んでいました。

不登校に-一変した生活
  中学生になっても祝福は続いているように見えました。新しい友達もたくさんできました。当然サッカー部にも入部しました。しかし、6月ごろになり新しい環境にも慣れてきたころ、突然髪の毛が抜け始めました。それは円形脱毛症でした。初めは必死に隠して学校に行っていましたが、夏にはもう隠す事も出来なくなりました。そしてそこから私の生活は一変してしまいました。友達から馬鹿にされるようになり、親友さえも私から離れていきました。学校に行くのがいやになり、大好きなサッカーも辞めました。心を閉ざしていった私には、優しい言葉をかけてくれる先生や、両親の言葉さえも疎ましく思えました。次第に学校にも行かなくなり、誰とも話さなくなりました。気が付いたら私は暗闇の中に居ました。「その頃ってどんな気持ちだった?」とよく聞かれますが、私はその質問に答えることができません。思い出が無いのです。それは初めて経験した孤独でした。


母の祈り
  そういう生活になりしばらくしてあることに気が付きました。私の父は毎晩9時ごろに仕事から帰ってきます。母はそれに合わせて食事の準備、片付け、掃除、洗濯をしていました。母が家事を終えて腰を下ろせるのは10時ごろでした。いつもはそれから一緒にテレビを見ていましたが、ある時から家事を済ますと必ず自分の部屋に入っていくのです。私は気になって耳を澄ませました。すると部屋からこういう声が聞こえて来ました。「俊也を元気にして下さい。俊也が学校に行けるようにして下さい。俊也の脱毛症をいやしてください」その声は母が私のために祈っている声でした。それは毎晩続きました。でも、私自身は、その期待がプレッシャーに感じ「やめてくれ、祈って何になるんだ。」と思っていました。
  しかし、母はやめませんでした。その祈りは毎晩1時間、1年以上続けられたのです。


独りではない
  ある日曜日の朝、母が「教会に行こう」と突然行って来ました。それまで誰とも話したくないし、会いたくないと思っていた私でしたが、その時は不思議と教会に行くことにしました。教会では賛美が歌われ、牧師が話をしていました。そしてこう言われたのです。『わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している』(イザヤ書43章4節)これは聖書に書かれている言葉です。この言葉を聞いたとき、私の心に突き刺さるものを感じました。そしてその時初めて知ったのです。自分が独りではない事に。
  その日から私と母は再び教会に戻りました。毎週教会に行くようになってしばらくしてから、私の中に『学校に行きたい』という気持ちが沸いてきました。脱毛症が治った訳ではありません、しかしそう思いました。でも1年以上行ってなかったので、若干の不安はありました。しかし、学校の自転車置場で1番最初に会った友達の第一声でその不安は吹き飛びました。「松ちゃん、明るくなったね!!」私にそう言って友達が駆け寄ってきたのです。暗闇のなかに居ると思っていた私に「明るくなったね。」と言ってくれたのです。その日から、私は学校を休む事はありませんでした。


一緒にいて楽しい人1位
  いよいよ卒業の時。それぞれに卒業文集が配られました。その文集の中に「何でもランキング」という企画がありました。それは何でもいいからランキングにしようという企画でした。「かっこいい人」「もてる人」等いろいろなランキングがありました。その中で私が1位になったものが3つありました。一つは『将来お金もちになりそうな人1位』もう一つが『将来社長になりそうな人1位』そして最後の一つが『一緒にいて楽しい人1位』。これを見たとき、私はとても嬉しかったです。その1年前、孤独の中に居た私が、最後の最後にクラスで1番『一緒にいて楽しい人』に選ばれたのです。それは私には想像もできない奇跡でした。
  それから10年が経ちました。長崎の地で神学生として学び始めた今だからこそ気づくことがあります。私がなぜこのような奇跡を見ることができたのか、なぜあの時教会にいけたのか。それは計り知れない神の愛と母の祈りです。毎晩続けられたあの祈りを、主は聞いて応えて下さったのです。だから私は確信しています。私の脱毛症は必ずいやされるということを。主は真実な方だからです。Iヨハネの手紙4章16節「神は愛です。」

(松本俊也牧師)

月刊「雲の間にある虹」(発行:雲の間にある虹出版)2007年11月号より転載)

 

 

 

不登校の問題の只中におられる方、また、お子様の不登校の問題でお悩みの方、

神様に、重荷を預けてみませんか?

神様は、今も生きて働いておられ、祈りに応えて下さる方だからです。

教会では、他にもたくさんの方が、不登校の問題の解決を受けています。

あなたも、ぜひ教会に来て、生きて働かれる神様を体験してみませんか?

教会では、あなたの問題の解決のために、お祈りします。

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。」詩篇55:22