家庭内暴力からの解放
―DVの暗闇から光の中へ―
賛美を通して救われ、神の家族の一員に
―親に捨てられて施設で育ち、いじめられ続けた子ども時代。夫の暴力から逃れて母子寮へ。あるときいただいたCD、その賛美を聴くうちに自分が変化していきました。
独りで泣く毎日
私は、幼いころから施設にて育ちました。小学校入学とともにいじめにあうようになりました。髪の毛がくせ毛、親がいないことでいじめられるようになりました。クセ毛で生まれたくて生まれたわけじゃない。施設に入りたくて入ったわけじゃない。私は、産んだ母を恨み、酒飲みで暴力をふるい、暴言を言う父をうらんでいました。他の子は両親そろっていて良いな~と妬む日々でした。学校に行くのも本当にいやで仕方ありません。行事があると、みなは両親が来るのに私は施設の先生だし、運動会の弁当も前日に作った冷たいおにぎり。施設でも毎日怒られっぱなしで、自分がこの世に存在しているのが嫌になるばかりです。学校帰りも線路に入って死のうと考えても、度胸もなく独りで泣く毎日でした。幼いころから、どうして私はこの世に誕生したのか? どうして親に捨てられたのか? 苦しいことばかりで、何一つうれしい事がない。中学校になっていじめはエスカレートするばかり。勉強もやる気なしで、バカ扱いされ、メデューサーとあだ名までつけられ、私を見ると、石になり固まり、こっち見るな、汚いものを見るかのように、思い出すと涙が止まらない気持ちで胸が苦し
くなりました。義務教育の9年間ずっといじめが続いていました。
結婚、独りでの出産、子育て
中学卒業後、施設を出て働きました。仕事も施設で決められた床屋。そこでも施設育ちで、世間を知らない私は、人と接するのが嫌になり、やめたいと思うようになりました。床屋の主人は、私の施設育ちをバカにし、私の心は、施設は地獄、人なんて信用せず自分のやりたい事をしようと決めました。夜の水商売をし、シンナーを吸い覚せい剤をやり…と好き勝手しました。やくざと付き合って覚せい剤をやり続け、結婚しても1年後には、離婚。24歳で2回目の結婚。結婚しても、夫は傷害で刑務所へ。捕まって初めて夫がやくざだとわかりました。出産も独りで長男が誕生し、独り子育てが始まりました。長男勇気が4カ月で夫は出所しました。子育てしながら、ずっと覚せい剤をやっていました。2人目を妊娠し、産むかおろすかの話し合いが始まり、話し合った結果産むことにしました。産むことに決めてから、私は覚せい剤をやめようと決めました。そんなとき、夫が車の事故をおこし、前科があるので尿の検査をされ、夜中そのまま逮捕されました。2年刑務所。私は2人目の港喜も独り出産、子育ても独り。今度は2人子育て。下の港喜はアトピー、喘息で年に6回は入院。夫が
出所後も夫婦ゲンカばかり。夫の暴言暴力。夫は、寝室にいきなり灯油をまいて、子どもと私を殺そうとしました。怖くなり子どもを連れて、近所の家へ逃げました。暴力を受けた人たちの避難する施設へ連れて行かれ、一カ月後三重県の母子寮で生活することになりました。
賛美で神に触れられて
母子寮での生活も、私は子どもに怒ってばかりで、そこの施設長に怒りすぎと言われてしまいました。母子寮で知り合い仲良くしていたRさんも私から離れて行きました。そんな時、 "隣(となり)"にYさんが来ました。Yさんは神を信じている人でした。苦しい中でも喜んでいる。私から見たら不思議でした。
あるとき、YさんがCDをくれました。そのCDは、イエス <CODE NUM=00A5>血潮<CODE NUM=00A5>愛とかの歌。初めて聴く音楽でした。けれど、聴くうちに自分が変化していきました。子どもに対する怒り、暴力が少なくなりました。教会でもらったCDも聴いてみると、私もびっくり涙が止まらないのです。賛美で心が温かくなりました。教会にも誘われました。教会で賛美が聴ける。教会で賛美を聴くと涙が流れ出し、賛美で神にふれられました。
賛美を通して、イエス様を信じイエス様に救われました。イエス様は私のすべての罪を赦すために十字架にかかってくださり、私は死んでも天国に行ける。こんな私を四日市シオン教会に導いてくださり、それからは、港喜はアトピー、喘息で入院を一回もしていない奇跡を神に感謝しています。そして、イエス様が私と子どもに最大の家族を与えてくださり、神の家族の一員となれたことを、心から感謝します。
(中島幸子(三重県四日市市))
(月刊「雲の間にある虹」(発行:雲の間にある虹出版) 2007年12月号に掲載)
小冊子「私はいやされた!Vol.1」(発行:雲の間にある虹出版、税込定価100円)に掲載されたものを転載
聖書に「すべてのことについて感謝しなさい。」とあります。
まず、夫婦、親子関係で許されている問題・困難そのものを感謝することから始めましょう。
感情が伴わなくても構いません。感謝してください。
証しにある<苦しい中でも喜んでいる>は、そのことの現れです。
「問題や困難を感謝する」ことは問題解決の第一歩であり土台です。
また、「あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。
むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(聖書)とあります。
感謝を始めていくうちに、必ず<脱出の道>が見え始めます。
そして、その<脱出の道>は単なる問題解決ではなく、祝福と希望と喜びに至る<脱出の道>であることを見出すことでしょう。