マタイの福音書 6章 33、34節
この聖句の1つのポイントは、「心配するな」ということです。また、他の聖書の箇所には「恐れるな」「おののくな」と書いてあります。ということは、私達は皆、心配したり、恐れたりするのです。
私は今回、アメリカに行って神様が見せてくださったことは、いろいろなことを心配しているのです。心配に対して信仰の適応をしているのを見ます。それで1つ見えた事は、信仰が中心でないなと思いました。心配が中心であるなと思いました。皆さんも、心配や恐れが中心になるというのは、普通のことです。ですから皆さんが信仰が中心であるなら、特別な恵みの中に入っていると思ってください。でも心配や恐れが中心だったら、あー私は人間だと思ってください。でも主は、心配するな、恐れるな、と言っているのです。
そしてその理由は、「だから神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」と言っています。つまり神の国と義とをまず第一に求めるならば、必要な物は全て与えられるということです。これは人の論理とは違います。人の論理は、自分の預金がどれくらいあって、年金でいくら支払われていて・・、というものです。しかし神の国と義を第一にするならば、与えられるという言葉は真実なのです。ですから神の御心を行う時に、必要な事柄が与えられます。
明日のための心配はするなと言っています。神様の御心を行うなら、神様が備えているということです。明日のことは明日が心配するから、明日のことを心配して労苦を増やすなと言っています。皆さんが悩んでいることで、今日の事を心配しているのか、明日以降の事で心配しているのか、どちらの比重が多いか考えてみてください。この聖句から言うと、明日以降のことを心配しているなら、それは無駄だと言っているのです。今日のことで充分だと、今日もたくさんいろいろな事があると、だから今日のことを対応しなさいと言っています。なぜかと言うと、神の国と義を求めるなら、神様は必要なものを与えるからだと言っているのです。ですから皆さん、年金よりも神の国と義です。だからといって年金をおろそかにしていいと言っているのではないのです。これもきちんとするのです。
しかし神の国と義を第一にして神様におろそかにされた人はいません。必要な物が足りなかった人はいないのです。主は栄光を現してくださり、与えるのです。他の事を第一に心配してしまうと、その事で問題が生じてしまうのです。しかし神の国と義を第一にする時、必要な最善の物が与えられてくるのです。ですから私達がそれを第一にする時に、主の豊かな栄光とわざを見ていくということをどうぞ覚えて頂きたいと思います。
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