主日礼拝メッセージ マタイ6:25-34

パウロ秋元牧師

2010年 4月 18日


 マタイ 6:25-34 

“信仰が薄い”ということについて取扱います。
  聖書で不思議な事の1つは福音書の弟子達と 使徒行伝時代の弟子達とはだいぶ違うという事です。福音書の弟子達は頼りないですが、使徒行伝の弟子達はあたかもキリストかのように がらりと変っています。何が変化しているのかというと使徒行伝の弟子達は聖霊を受け、聖霊の満たしを受けています。しかし それだけではありません。福音書では何度も“信仰が薄いからです”という表現があります。使徒行伝時代では信仰の変化が明らかにあっ たと見ることができます。では信仰が薄いとどうなるのでしょうか。マタイ6章25~34節まで“心配”という言葉が7つ出て来ます。 “信仰が薄い”の特徴は心配しているのです。又、マタイ8章23節では“怖がる、恐れる”ことを言っています。マタイ14 章28節ではペテロが信仰を持って水の上を歩きましたが、波を見て怖くなり心配したら、神の働きが止まってしまいました。マ タイ16章8節では5千人のパンの給食の奇跡が起こりましたが、弟子達はパンを持って来なかった事を論議し、神がいないことを前提に 考え、神が助けて下さる事を考えていない時、信仰が薄いと言われています。そしてマタイ6章33節では神の約束の言葉に立 ち、信頼しなさいと言っています。私達が心配や恐れを中心にするか、神の言葉を中心にするかどうかは実は大きな事なのです。し かし私達は人間ですから心配や恐れでできている様な者です。旧約聖書のエリヤでさえも偽預言者450人を倒した勝利の後、イゼベルに 脅されて、恐れて逃げ、死にたいとまで言いました。一方、第一サムエル記17章45節でダビデはゴリヤテと戦った時、恐れ ていませんでした。神の御名によって立ち向かい、「主はお前を私の手に渡される(私は勝った)」と受けたと信じる信仰、からし種の信 仰を使っています。皆さんの問題は信仰の訓練として置かれています。皆さんの問題はすでに解決しています。それは御言葉の 中にあります。問題に適合する御言葉があります。条件があるなら条件を果たして下さい。そして御言葉に信頼する事を通して神の奇跡を 見て行きます。皆さんの問題の解決と共にこれから起こるリバイバルで神の奇跡を見て行く基盤がその中にできていきます。私 達が御言葉に立った信仰、からし種の信仰を使う時に、豊かな栄光が現わされることをどうぞ覚えて下さい。


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