インフォメーション

【日時】 2011年2月5日 土曜日 午後12時半から

【会場】 長崎市平和会館ホール

【講師】 パウロ秋元牧師(東京アンテオケ教会)

      イザヤ木原真牧師(神のしもべ長崎教会)

【アクセス】 高速道路   長崎自動車道 長崎多良見

       最寄り駅 長崎電気軌道 浜口町 徒歩 5分

【問い合わせ】 ℡095-843-3178(神のしもべ長崎教会)           

※どなたでもご自由にお越しください。

 

日本二十六聖人とは?

1597年2月5日、日本で初めての殉教がありました。

今から400年以上も前のことです。時の権力者太閤秀吉によって、24人のキリシタンたちが、大坂・京都で捕らえられました。

彼らは、ひと月以上かけて長崎まで連れて来られて、西坂という丘の上で十字架につけて殺されたのです。

24人の身の回りの世話をするために、一緒に付き人としてついてきていた 2人も途中で殉教者の中に加わり 、西坂の丘で殉教した時には26人になっていました。

彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれています。

(イザヤ木原真牧師著「殉教〜天国の希望と喜び」より)

 

殉教者たちからのバトン

殉教者たちの物語は、まだ終わってはいません。

完結していないのです。殉教者たちの血の報いである魂の大収穫、リバイバルがこの国を訪れるその時、彼らの物語は完結します。

私たちが今、二十六聖人をはじめとすつ殉教者たちの足跡をたどり、彼らから神様の語りかけを受けようとしていることの目的は、ここにあります。

命をかけてまで主に従い通した殉教者たち。彼らから、そのバトンをしっかり受け継いで、この終わりの時代を私たちは走り抜くのです。

彼らの殉教の血の報いである魂の大収穫、リバイバルを神さまから担わせていただいて、私たちは最終ランナーとして走るのです。

(イザヤ木原真牧師著「殉教〜天国の希望と喜び」より)

 

 >> 長崎殉教記念聖会の動画保存版はこちらから <<

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ツアーのゴール地点は長崎。翌日5日の夕方には、長崎殉教聖会にも参加することができ、献身が新しくされる恵みに満ちあふれた祝福の時となりました。 主に心から感謝をささげます。 以下、イザヤ木原牧師の ご説明を参考に、記させていただきます。詳しくは、イザヤ牧師著「殉教」の本をお読みください。

日本二十六聖人と浦上キリシタンの歴史~「殉教」~天国の希望と喜び 

1597年2月5日。太閣秀吉の命令で、日本で初めての殉教があった。その26聖人の足跡をたどる。 全国から子供を含む38名が、 福岡空港に集合。大型バス1台で出発です。初めの地は山本村。

山本村 京都・大阪で捕らえられたキリシタン24人に、佐賀の山本村で2人の者が自主的に加わり合計26人となった。 1か月以上かかって、彼らは長崎までの殉教の道のりをゆくのです。

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唐津の山本村で

 

「私の養子になれ。」 なんとかして12歳の少年を助けようと、処刑の執行責任者、寺沢半三郎は言った。しかし、その誘いを断って、十字架にかかって、殉教することを選んだルドビゴ少年。「終わりのなき永遠の命をたちまち滅びる束の間の肉体の命とは代えられません・・・あなたもキリストを信じて私と一緒に天国に参りましょう。」わずか12歳の少年は言ったそうです。彼は、天へのあこがれ、喜びに満たされていました。最も価値あるものに、少年の心はしっかりと定っていました。

 

祈り込みの時 この地で、迷わず主を選んだ少年の信仰を思いながら・・・主の深い愛が注がれている感じがしました。

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彼杵

ここから時津港に向かって三そうの舟で26人は運ばれます。

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彼杵の海岸での賛美の時

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26人のリーダー、ペテロ・バプチスタ神父は、涙を流しました。 それを役人たちは、「死ぬのが怖いのだ。」と、陰で笑っていたそうです。 ・・人の中には、なんと残酷な心があるものでしょうか。

しかし、彼の涙の本当の意味は、日本の救われてない沢山の魂と、閉ざされている日本の宣教を思ってのものでした。 パウロ三木には彼の心が痛いほどわかりました。ですが、役人たちが勘違いするのを見て、「どうか泣かないでください。」とお願いします。 神父はつまづきを与えたくないと、すぐに涙を止めました。

 

私たちの救いのために、日本の宣教のために、遠い昔涙をもって命がけで祈ってくれていた方々がいる。賛美中、主の愛が迫ってきました。

 

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時津港

26人は東彼杵から舟で、時津に運ばれてきました。

とっても寒い夜でした。

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それは、彼らが過ごした地上で最後の夜・・・

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ここは、キリシタンの町。 暴動を警戒され、その日上陸は許されず、26人は、吹きさらしの舟に残されたのです。

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2月のあの寒さの中、小舟に揺られていた彼ら・・・ 

ひたすら祈っていたに違いありません。その祈りの重みが私たちにも感じられました

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そして、殉教の2月5日。処刑される、西坂まで、彼らは歩いてゆきました。

 

西坂の丘で・・・

 

「私のつく十字架はどこですか?」丘を駆け登ると、12歳のルドビコ少年は自分のつけられる、一番小さな十字架に頬ずりし、口づけしました。アントニオ少年は、泣き叫び止めに入る両親を目の前に十字架の上から言った。「喜んで下さい。私は天国へ行きます。」「お父さんお母さんもイエス様を信じて天国へ来てください。」「喜んでください!」

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処刑執行人の寺沢半三郎とパウロ三木は、旧友だったそうです。

半三郎の胸は痛みます。

 

パウロ三木は十字架の上で、最後まで福音を語りました。 「私は、死刑を命じた太閣様、半三郎、お役人、執行人を赦します。何も恨んでおりません。 ただ、私の願いは、全ての日本人がイエスキリストを救い主と信じて救われることです。」

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2歳のルドビコ少年は、13歳のアントニオ少年と共に十字架で、詩篇113篇を賛美しました。「子らよ、主をほめたたえまつれ」 4000人にもいたる見学人は、思わずともに賛美をしたそうです。

礼拝の時・・  

全員で、やすらぎの歌から、「一粒の麦」を賛美いたしました。胸に響きます。 私たちの心も天の喜びで満たされました。

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26人の処刑は行われた。 一番最初の殉教者はメキシコ生まれ24歳のフィリペ。彼は、まったく日本に来るつもりなどなく、ただ、メキシコに戻る船が難船して、日本に漂流。 そして殉教者に入れられたそうです。このことは主の御手の中のこと。 でも、彼は主に選ばれたことを喜んで感謝してこの十字架を負ったのです。 彼が最初に槍で突き刺され処刑されました。 そして、最後まで残されたのは、26人のリーダーだった、ペテロ・バプチスタ神父です。役人たちが彼を最後にしたのは、仲間たちが次々苦しんで殺されるのを見れば、神父が信仰を捨てるかもしれないと思ったからだそうです。 ところが、ペテロ・バプチスタ神父は、 全員が最後まで主を愛し、信仰を守り通して殉教していく姿を見届けたかったのでした。 そして、彼の願った通り全員が喜んで天に帰っていく姿を見守って、そして、26番目の最後に彼は槍を受けました。最後の祈りの言葉は、「父よわが霊を御手にゆだねます。」十字架の主と同じでした。 

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The Light of Eternal Agapeのお墓

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バスの中説明をされる ツアーガイド、

主の十字架神学校の日本教会史「殉教」の講師 イザヤ木原真牧師

 

「私たちは今、救われて主のために、リバイバルに向かって用いられようとしている。  しかし、沢山の殉教者たち、彼らの血と涙と祈りがあっての私たちだということを、けして忘れてはいけない。」 「これからの時代の宣教は、大きな十字架を負うこともあるでしょう。私たちは自分の力では十字架はになえないのです!弱さを知って、ひたすら主に祈り、主に求めるのです!」

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この他沢山の殉教者たちの証を聞きました。 

胸に迫るそれぞれの姿は、ただお一人の方、イエスキリストの栄光を表していました。

(詳しくは、ぜひ木原牧師の「殉教」の本をお読みください。)

 

このツアーを与えてくださった主に感謝します。 すべてのご栄光は主に!ハレルヤ!

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殉教ツアーも終了し、ここからは殉教聖会の様子をご紹介致します。

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殉教聖会では、各賛美隊の特別賛美も行われました。

こちらは、長崎の山里ゴスペルクラブ。

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特別賛美の様子その2

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特別賛美その3

こちらは東京アンテオケ教会のラ・スポーザ。

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特別賛美その4

Giftsです。

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特別賛美の後は、会衆賛美の時が持たれました。

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会衆賛美の様子。

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会衆賛美の内にも、主の深いご臨在の注ぎかけがありました。

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聖会のメッセージを行ってくださるのは、

東京アンテオケ教会のパウロ秋元牧師です。

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こちらは再度会衆賛美の様子。

God is love!!

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聖会にはとても多くの方が集まり、共に心から主を賛美しました。

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メッセージの様子です。

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賛美隊、主のしもべたちの特別賛美。

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こちらも特別賛美の様子です。

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聖会にそそがれる主の深いご臨在。

会衆賛美の時は、みんな立ち上がって賛美していました。

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この長崎の地で起こった殉教という出来事を、主に感謝し、褒めたたえます。

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賛美されるパウロ秋元牧師です。

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ショートメッセージをされる、主のしもべ長崎教会のイザヤ木原真牧師。

雲の間にある虹出版から発売されている、「日本二十六聖人と浦上キリシタンの歴史~「殉教」~天国の希望と喜び」の著者でもあります。

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殉教聖会は、主の深い祝福の内に終了致しました。

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2011年度の長崎殉教記念聖会は「2011年2月5日 土曜日 午後12時半から」行われます。

皆様のお越しを、心よりお待ちしております。