10年来のアレルギー性鼻炎がいやされた著者

「10年間のみ続けた薬」

私は、アレルギー性鼻炎で中学生の時から10年間くらい薬を飲んでいました。飲まなければ鼻がムズムズしたり、小鼻が痛くなったり、くしゃみが出たりなど、とにかく薬が手放せない状況でした。アレルギー性鼻炎は薬でも手術でも治るものではなく、この症状を一時的に抑えるために薬を飲み、なくなっては病院に通っていました。クリスチャンになってから、教会で鼻炎がいやされるように祈ってもらい、自分でも祈ってきました。調子の良いときは、1回飲んで、1週間もつときもありますが、花粉の季節は、毎日薬を飲まなければならない状況でした。

「主に従い薬を捨てる」

 そんな中、最近は毎日薬を飲んでいるのにもかかわらず、鼻炎の症状が出てくるので、おかしいなと思っていました。そのことを教会の祈祷会の中で感謝の祈りをしました。 
すると、牧師夫人が、薬を飲んでも飲まなくても症状が変わらないということは、何か、神様からの語りかけがあるのではのではないか・・いやされるのではないですか・・と話してくださり、牧師はご自身の病で主の導きで薬を捨て主により頼み完全に主がいやしてくださった証しをしてくださいました。
この時、私は薬を捨てることは神からの導きだと確信し、神さまに捧げようと思いました。その一方で、鼻炎のつらい症状を考え、迷いもありましたが、牧師に祈ってもらい、帰宅して、残りの薬を全て処分しました。そして、神さまに助けを求めようと決めました。

「症状の悪化と感謝の徹底」

薬を捨ててから、2、3日経つと鼻炎の症状だけでなく、目や耳、全身のかゆみなど、今まで気がつかなかったアレルギーの体質(アトピー性皮膚炎)が出てきました。つらい状況が続き、病院に行こうかなという思いも出てきました。日曜日の礼拝の後、牧師にいやしの祈りをしてもらい、またその日は教会の中でずっと異言で祈っていました。異言で祈っていると、一方では鼻がムズムズしてつらいのですが喜びがありました。
しかし、次の日、アルバイト帰りの電車の中で、本当につらくて、もうダメだと思い病院に行こうと決意しました。しかし、その前に100回の感謝をしようと何とか考えることができ、家に帰ったあとに感謝を100回しました。結局、この日は病院に行かずにすんだのですが、弱気になってしまいました。

「賛美から喜びへ」

その夜、「獄中からの賛美」という本の中で著者のマーリンさんもアレルギーの体質であったというところを読み、この本を参考にしながら、神様に祈りました。
自分の中につらいという思いもあるのですが、聖霊さまの助けによってこの思いをあきらめ、神様に捧げました。
このことを喜び、賛美しました。病院に行こうという思いもあきらめ、この肉体の弱さが与えられたことを感謝し喜ぶことを選び、このことのゆえに神様を賛美し、この状況が与えたられたことを喜びました。
鼻がムズムズした時は喜びました。主を信頼し、このままの状況が続いたとしても受け入れ、喜ぼうと決めました。


いやしが起こった野外コンサートで
賛美している著者(左から2番目)

「ゴスペルコンサートで栄光が」

すると、次の日変化がおこりました。昨日よりも楽になっているのです。その次の日はもっと楽になりました。
その週の土曜日には、札幌フィラデルフィヤ教会の第1回目の公園ゴスペルライブが真駒内公園において行われました。
かなり花粉の舞う中で行われたのですが、まったく鼻がムズムズすることがなく、体がかゆくなることもなく、 アレルギー性鼻炎、アレルギーの体質が完全に癒されていました。
またそれだけではなく、神様は私の鼻の通りも良くしてくださいました。医者に鼻の骨がかなり曲がっていると言われ、 手術をすれば通りが良くなると言われていたのですが、手術をしなくても神様はいやしてくださいました。
鼻のつまりがなくなり声が出しやすくなり、気持ちよく賛美をすることができました。

「教会を通して」

ハレルヤ! 主から教会に語られた「信仰の踏み出しをしなさい。」ということばに従ってはじまった第1回目の公園ゴスペルライブに主はしるしのひとつとしていやしのみわざを現してくださいました。
神様はアレルギー性鼻炎で一生飲まなければならないと思っていた薬から開放してくださいました。 病がいやされることは本当に大きな喜びです。
神さまは教会を通していやしてくださったのです。
教会の守りと助けのもとで、神の時にいやしてくださったのです。

イエスは答えられた。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」ヨハネの福音書9章3節

み声新聞279号より抜粋−
   教会では病気が治るようにお祈りいたします。ご遠慮なく、教会にお越しください。

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