戻った「いい声」

● 賛美と私

私は2年前、関西賛美大会の1カ月前に結成された教会の賛美チームに入ることになり、賛美の奉仕をするようになりました。初めての関西賛美大会は風邪を引いてぜいぜい言いながらの参加となり、その年の後半から、少しずつ声が出にくくなり始めました。

 ただ、不思議だったのは、聖会の前日になると声が出るようになり、奉仕が守られました。そしてみんなに「治った!」と言って喜んでいましたが、次の日になるとまた元に戻ったのです。そしてとうとう昨年の7月頃には、低くかすれた声(地をはうような声と言われていた)しかでない状態になっていました。


● 声帯ポリープ発見

ある日、子どもがけがをしたのがきっかけで病院に行った時に、私ののども診てもらったところ、「ポリープがある」と言われショックを受けました。「話さないように」との指示が先生から出ても、小さい子どもが居るとそういうわけにもいきません。

 病院に3カ月ほど通い薬も飲みましたが、一向に回復しませんでした。先生も「治療で時間がかかっているから、手術するんだったら紹介するよ」という話をしていました。月に4〜6回も行くと病院代が生活費を圧迫するようになったので通院を止めました。

 またポリープと聞いてから、自分で「1日150回の感謝」を決め、カウンターまで買って実行しました。また自分でも祈り、教会でもみんなに祈ってもらいました。しかし、なかなか自分のためのいやしの祈りは続きません。そして通院を止めたころ、「手術したら治るわ」とあきらめ気分になり、次第に感謝も、祈りも、思い出したときにするという感じになっていきました。


● あれ!?「いい声〜」

つい最近、2月22日に奈良カリスマ聖会があり、3歳になった一人息子(8月には第2子を出産の予定)の献児式をすることができました。主人はノンクリスチャンですが「よくわからんから任す」と言ってくれて、式ではとにかく声を合わせて祈ることができました。

 聖会の最後には毎回、講師のパウロ秋元牧師がいやしの祈りを導かれます。その時、私もいつものように声帯ポリープのいやしのため、のどに手を当て祈りました。また、同時に自然におなかにも手を当てていました。

 聖会の翌日、夕方に時間がとれたのでお祈りをしようといつものように祈り始めました。賛美に移って1、2曲目はいつもの低くかすれた声で賛美をしていたのですが、ふと声がでやすいことに気付いたのです。3、4曲目は、普通に歌ってみると出ているように思うのです。5曲目からあえて高い音符の並んでいるのを探して歌ってみました。「出てる!出てる!」もう立って、手を天にかざしながら気分良く歌っていました。結局主人が帰って来るまで1時間足らずの時間でしたが、ずっと賛美し続けました。

● 無くなっていたポリープ

 以前、神さまに祈っていたことがありました。それは、私にも分かるハッキリ確認できるような神のみわざが見たいという祈りでした。「声が出ているということは、ポリープはいやされた!」のか、「実際のところポリープは無くなってないけど以前のように一時的に声が出ているだけでは?」などと様々な思いが出てきます。私は本当にポリープがいやされたのか、病院で確認してもらおうと思いました。

 やっと時間がとれ、翌週ドキドキしながら病院に行き見てもらいました。結果、なんとポリープが無くなっていました。先生も「治療に来ていても治らなかったし、変わらない生活をしていたのに、良い方にいって良かったな」と、驚いた様子で喜んでくれていました。そしてのどに結節が2つあるということでしたが、何もしなくても良い方に向かったしと、薬も出ませんでした。主に感謝します!

● いやしの恵みは教会に

 ポリープがいやされたことに関して、私の信仰は決して模範的でも立派でもなかったと思うのです。最初は熱心に感謝し祈っていましたが、なかなか続きませんでした。でも、私はただ教会につながり続け、地をはうような声と言われながら賛美の奉仕をし続けました。教会に来ること、奉仕をすること等を通していやされたのだと思います。

 そして以前に祈った祈りにも主は答えてくださり、ハッキリと確認が取れるいやしを見せてくださいました。さらに、聖会でのいやしの祈りの時、無意識におなかに手を当てていたのですが、妊娠が分かってからずっと張っていたおなかの張りが、その頃からなくなっていることに気がつきました。主はおなかの張りまでいやしてくださいました。哀れみ深い主に感謝します!

(奈良 林田有希)

み声新聞305号より抜粋−
   教会では病気が治るようにお祈りいたします。ご遠慮なく、教会にお越しください。

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