ドッティ―・デュークさんの体験談(証し)

ドッティ―・デューク

■ドッティ―・デューク(アポロ16号宇宙飛行士チャールズ・デューク夫人)

 

悲しみを喜びに

それは、1975年のことでした。私はひどく落ち込み落胆していました。みなさんのなかには、こんなに有名な宇宙飛行士と結婚して、二人の子どもに恵まれ、なぜ落ち込み落胆しなくてはいけないのかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、その当時私は本当に不幸せな思いをしており、自殺することさえ考えていました。その理由というのは私が思い描いていた夢がかなえられなかったからです。

 

みなさんも人生において何かの夢をもってらっしゃると思いますが、チャーリーの夢は宇宙飛行士として月に行くことでした。そしてそれを実行しました。私の夢はというとおとぎ話に出てくるシンデレラになることでした。私は小さいときから素敵な王子様と出会って結婚をし、永遠に幸せに暮らすことを願っていました。チャーリーが私に結婚を申し込んだときに私はチャーリーにこう言いました。「私はあなたを私の人生の一番にします」と。そして、チャーリーにこう聞きしました「あなたは私をあなたの人生の一番にしてくれますか?」。そうするとチャーリーは「はい、そうします」と答えてくれました。そうして私たちは結婚し、ハネムーンへと旅立ちました。しかし、ハネムーンから帰ってすぐに私は気づきました、彼が私を一番としてくれていないことを。彼にとっての一番は私ではなく自分の仕事でした。

 

そこで私は、なんとか彼に私を愛させるようにしようと思いました。それから何年間か私はいろいろな事を試し、なんとか彼に私を愛させるように努力しました。しかし、仕事やゴルフなどが彼にとって私よりも大切なものでした。

 

それでも、チャーリーが宇宙飛行士として立つとき、私は彼を励まし、サポートをしました。そして、彼のミッションが終わったら、その時私たちの結婚についてもう一度やり直し始めようと思いました。私は彼が月に行ったことをすばらしいと思いますし、誇りに思っています。私は二人の息子といっしょにフロリダに行き、宇宙船が打ち上げられるのを見に行きました。そして、ヒューストンの NASA の司令室に行き、実際に月に行き歩いている様子を見ました。私は、このミッションに関しての恐れはありませんでした。彼も安全に行き、そして、戻ってくることに自信をもっていました。

 

私は彼が月から戻ってくるのを楽しみに待っていました。彼が帰ってきてから結婚についてもう一度やり直しができると思っていたからです。しかし、月から帰ってきても彼がなにも変わっていないことに私は気がつきました。彼は以前と同じように仕事に没頭し、仕事中毒と言ったような人でした。私は、彼は私が思っているようには私のことを愛してはくれないのだと思いました。そして、彼と離婚し、私が思っているように私を愛してくれる人と結婚したほうがいいかもしれないと思いました。しかし、それを考えると、私が愛してほしいと思うようには誰も私のことを愛してはくれないのではないのだろうかという思いが浮かんできました。私は完全な結婚というものは求めていましたが、これはかなえられない夢なのだと思うようになりました。その完全な結婚がかなえられないものであるのなら、何が私を満足させてくれるのだろうかと思うようになりました。そこで、私は人生におけるその答えを求めるようになりました。

 

「どうして私はここにいるのだろう?」「何が私に、目的と愛を与えてくれるものなのだろうか?」この答えに関して、私はさまざまなところに行きその答えを求めました。ある時は旅行会社に勤めそこにその答えがあるのではないだろうかと思いました。ある時は、近所のコミュニティーに行き貧しい人々を助ける働きもしました。そして、色々なパーティーに参加したと色々なことを試してみました。

 

しかし、それらのものは私が求めていた「答え」とはなりませんでした。さまざまな哲学書や本を読みましたが、そのどれも私に愛や充実感を与えることはできませんでした。そこで、私は、人生には本当の答えなどないのだと思うようになりました。そして、私たちは生まれ、生きて、そして死ぬだけなのだと思うようになりました。もしそうだとするなら、なぜ私はこんなに孤独を感じながら生きていなければならないのだろうかと思うようになりました。そして、頭の中には自殺という考えが浮かんできました。私は人生におけるすべての希望を失ってしまいました。

 

私はずっと教会には行っていました。そして、大学にいって学んだときに宗教というのはすべて同じなのだと思いました。イエス様も他の宗教指導者たちとなんら変わりはないものなんだと思い、それから、何年も経つうちに、「神様は本当におられるのだろうか?」と思うようになって行きました。そして、私は無神論者になっていきました。「神様がおられることなんてどうやって知ることが出来るのだろうか?」と。

 

しかし、私はずっと教会には行き続けていました。そして、1975年にある方々が教会に来られ、自分達の信仰について話してくれました。その人たちは、イエス様は他の宗教指導者たちとは違うと話され、イエス様は私たちの祈りに答えてくださり、そしてイエス・キリストは私たちの人生の答えであると言われました。そういわれましたが、私はこの人たちが言ってることは真理なのだろうかと思っていました。

 

彼らの顔を見ると、心からの喜びに満ちていることが分かりました。そこで、私は祈ってみることにし、この人たちが言っていることは本当のことなのか試してみることにしました。その晩、私は一つの簡単な祈りをしました。「神様、あなたが本当に生きておられるのかどうか私には分かりません。イエス様、あなたが本当に神のひとり子なのかわかりません。もう、私は自分の人生をめちゃくちゃにしてしまいました。もしあなたが本当に神様であられるのなら私の人生をあなたに捧げます。もしそうでないのなら、私は死にたいです。」私は、本当に心からそう祈りました。

 

そして、次の朝目覚めてみると、神様は生きておられるという大きな確信がありました。そこで、私はこの方はどのような方であるのかということを追い求める決意をしました。その方法として私が知っている方法は祈ることでした。そして、私が祈ってこの方は本当に祈りに答えてくださるのかどうかということでした。私は、具体的に家のことやこれからどういう風に歩んで行ったらよいのかという具体的導きのことを祈り求めました。すぐに祈りは答えられました。私は「いえ、これは偶然の出来事だわ」と思いました。しかし、もっと祈っていくときに、また祈りが答えられていきました。そこでも私は、「きっとラッキーだっただけだわ」と思いました。しかし、何カ月も祈っていくうちに次々と祈りが答えられていく様子を見るうちに、こんなに偶然が重なるはずはないと考えはじめました。

 

そこで、イエス様は本当に生きておられるのだということが分かりました。イエス様は私を愛して下さっていて、私の祈りに耳を傾けてくださっているのだと分かりました。そして、私の祈りを聞いて下さって、私の人生に深くかかわっていてくださると分かりました。そして、私はもう一人ではないのだと分かって、本当にうれしくなりました。私の夫は私を愛してくれてはいないけれども、神様は私を愛していてくださる。そして、神様は私の夫よりもっと大切な方であること。そこで、私は私の心の中にあることをたくさん神様に話していきました。そうすると、神様は私に語ってくださり始めました。私は自分の耳で神様の声を聞くといったことはありませんでしたが、神様は私の思いに語ってくださり、聖書を通して語ってくださいました。神様は言われました、「ドッティあなたは新しく生まれたものです。私は過去にあなたが行ったすべての事を赦しました。そして、あなたは私とともに全く新しい人生を歩き始めているのです」と。

 

私は本当に落胆し落ち込んでいましたが、そのあとに、神様との全く新しい人生を歩き始めることができることを知り、本当にうれしく思いました。そして、神様がおっしゃられたのは、「あなたの人生が新しいものとされ、あなたの結婚も新しいものとされたのならば、チャーリーを赦さなければならない。私があなたを赦したように、あなたもチャーリーを赦さなければならない」とおっしゃられました。私はイエスさまが私を赦してくださったということは分かりました。イエス様は私の罪のために十字架にかかって死んでくださり、私の罪はすべて消されています。しかし、私はチャーリーを赦したくはありませんでした。そして、私はそのことで神様と口論をしました。チャーリーは私に赦してと言ってこないです。なので、私は「チャーリーを赦したくはありません」と言いました。そこで、神様は再び私に語りかけられました。「ドッティ、あなたは私を主としましたね。もし、あなたが私を主としたのならば、あなたは自分が望むことではなく私が望むことをしますよね」と語られました。その時、私は聖書のある箇所を思い出しました。それは、「主よ、主よ」と言いながら神様に従っていない人の話でした。私はもし私が、イエス様を主と呼んでいながら、もし主であるイエス様に従っていなかったのであるならば私はただの偽善者です。しかし、私は偽善者にはなりたくありませんでした。

 

そこで、私はチャーリーを赦すと言うことに同意し、でも、神様私を助けてくださいと祈りました。それから、2カ月の間、神様は私の心のうちに働きかけてくださいました。それは、一晩のうちに変わることはありませんでした。しかし、2カ月という時間をかけて神様は私の心のうちにある苦々しい思いを取り去ってくださいました。そして、神様は私の傷となっている部分をも取り去ってくださいました。そして、私は神様にとって不可能なことは何一つないのだと思いました。神様は私の心理学者になられました。神様は私のいろいろな問題、情緒的な問題に働きかけてくださいました。そして、イエス様はチャーリーを愛するようにと言われました。そこで、私は神様に「私はチャーリーを愛していると思います。チャーリーが私を愛してくれている以上にチャーリーを愛していると思います。」と言いました。すると、神様は「私はあなたが、チャーリーを100%愛するように求めます。私があなたを100%愛しているように、あなたもチャーリーを100%愛しなさい。」と言われました。そして、神様は「仮にチャーリーがあなたのことを全く愛していなかったとしても、あなたはチャーリーを100%愛しなさい」と言われました。そこで私は再び、「イエス様私を助けてください、私ではそのように愛することは不可能です」と祈りました。

 

私たちが、本当に人をそのように愛するためには私たちの心の内側にイエス様の力が必要です。そして、愛すると言うことは決心であり選びです。愛と言うのは感情や、思いだけではありません。愛とは他の人のために何かをすること、祝福することです。ですからイエス様は毎日、チャーリーに何をしてあげたらよいのか、チャーリーを祝福するためには何をすべきなのかを教えてくださいました。私は完全ではありません。ですから、私も時々失敗をしました。しかし、イエス様は私を助けてくださり、その失敗を赦してくださいました。イエス様は私を赦してくださり、チャーリーを愛するという思いを与えてくださいました。

 

みなさんのなかにも、だれか赦さなければならない人がいるかもしれません。イエス様はみなさんがこのときにその人を赦すようにと招いておられます。そして、赦すという決心をするならば神様は私たちを助けてくださいます。イエス様は私たちを赦すために十字架に架かってくださいました。そして「主の祈り」でも赦しに関して語っておられます。ですから、私たちとイエス様との関係の中で他の誰かのことを赦すということは大変重要なことです。

 

また、イエス様は私のうちにある罪を示されました。私がチャーリーに持っている苦々しい思いを示されました。いままでお話したように、私は自分の人生の一番にチャーリーを置いていました。みなさんの人生の中で一番とするものは神です。みなさんの人生の中で一番としているものはなんでしょうか? もし、イエス様以外のものをいちばんとしているなら、それは、いつかみなさんを失望させてしまいます。チャーリーは神ではありません。ですから、私が求めるようにチャーリーが私を愛すると言うことは無理です。しかし、イエス様だけがそれをすることができます。イエス様はみなさんが必要としておられるすべての愛をもっておられます。ですから、イエス様に愛を求めてください。そして、人生の目的においてもイエス様に求めてください。主は私の人生を悲しみから喜びへと全く変えてくださいました。イエス様はみなさんにも同じ事をすることがおできになります。

 

私たちは偶然を言うことを信じていません。みなさんが今ここにおられることも神様が導いたことです。ですから、このメッセージのときにみなさんがここにおられることは偶然ではありません。神様はみなさんをここに連れてこられました。なぜなら、神様はみなさんを愛しておられるからです。そして、神様はみなさんに愛と平安と喜びを知ってもらいたい思っておられます。もうしておられると思いますが、みなさん心を開いてイエス様にお祈りしてください。そして、イエス様をみなさんの主として救い主として受け入れてください。イエス様は私たちの人生の答えです。神様の祝福がありますように。

 

 

この文章を読まれたみなさんへ。どうか、次の祈りをご一緒にお祈りください。

 

「イエス様、私はあなたを私の救い主として、信じ受け入れます。私があなたに背を向けてきた罪を赦してください。
いま、私の心の中にお入りください。あなたの十字架によって、私に永遠の命が与えられたことを信じ感謝します。
これからの私の人生を、どうかあなたが導いてください。アーメン。」