あと一年の命が がん再発8時間半の大手術
 感謝の中に現れた神のみわざ


3年前にあと1年の命と宣告された著者

チャールズ・デュークさん(中央)と
弟(左)さんと一緒に(大阪にて)

米同時多発テロの時に

 

それは悪夢の様な光景でした。2つの高層ビルに飛行機が突っ込み崩れていく‥‥「どのチャンネルでも同じ映画のシーンを放送しているのよ、変ね」と同室の患者さんが騒いでいます。アメリカでおきた同時多発テロでした。私はこの朝、大手術を控えていました。2年前のがんの再発で十二指腸、胃、膵臓、胆嚢、肝臓、大腸を手術するのです。「冗談じゃないわ、こんな日に!デボーション箇所はキリストが十字架にかけられる日だし、この手術で死ぬのかな―」と、かなり気持ちが落ち込みましたが、私は麻酔で寝ているだけでがんばれるものでもないし、取りあえず今の状況を感謝しよう、と思いました。この手術も感謝する事によって受けることができたのですから‥。

 

再発したがん


5年前のがんの手術後の経過は順調でした。大きかった割には浅く転移もなく、しかし待合室のパネルによると5年生存率はとても低いものでした。そして3年前の6月のCT検査で異常が見つかったのです。十二指腸の外側に腫瘍があり開腹してみなければ分からないとの事。私は再発のショックを医者への怒りに代えました。どうしてもっと早く発見してくれなかったのか、毎月通院していたのに‥。腫瘍マーカーという、がんがあると高い数値を示す検査に反応しないタイプだったのです。

 

納得できない


  穏和な主人もこのときばかりは納得がいかない様子でした。毎日怒っているとだんだん心がすさんでくるのが自分でもわかりました。「どうして私なの?隣の奥さんじゃないの?向うを歩いていくあの人はこれからも家族仲良く、おいしい物を食べて生きていくのね、私はこれから苦しんで死んでいくのに。私が何をしたのよ?何も悪い事してないのに。医療ミスだわ。訴えてやる!」こんなことを毎日思っていました。

 

すべてを感謝してみよう!


 そんなある日、ポストの中に近くの教会が配布した新聞が入っていました。ぼんやりと眺めていると、突然ある個所に目が釘付けになりました。ヨブ記の「私は死んでも主をほめたたえる」というみことばでした。死ということでは同じ状況、しかし私は怒って、恨んで、人のせいにして‥。クリスチャンであるならこうありたい、どしたら?感謝する?こんな状態を?でも感謝してみよう!この日から私たちは徹底的に感謝をしました。がんに感謝、再発の発見が遅れたことも感謝。すべてを感謝していくことにより少しずつ心に平安が戻ってきました。ついには家族や親、兄弟の死を悲しむことなく自分が最初に死んでいけるのは何て幸せなのだろうと思えました。

 

神様のみ手が


 教会でも祈っていただくなかで、次々と事が展開していきました。有能な先生が紹介され、詳しい検査の結果、他の臓器には転移していないらしく手術が可能だということでした。十二指腸、胆嚢は全摘出、膵臓、胃は半分、肝臓、大腸は一部切除。8時間半の大手術でしたがすばらしい執刀医のおかげで輸血の必要もなく無事生還することができました。(普通これだけの手術で輸血の必要がないということはとても珍しいことだそうです。)
 集中治療室の4日間はとても苦しいものでしたが、一般病棟に移ってからは鎮痛剤や睡眠薬の必要もなく、驚くほど順調に回復して行きました。入院期間45日間、退院後2週間で仕事に復帰できました。

 

余命1年のはずが


 しかし、この時点での余命は約1年。私のような場合は、1年以内に8割以上の確率で再発するということでした。しかし、昨年12月と3年経過した先月のPET(がんを早期に発見することができる最新の医療設備)という検査では全く異常が認められませんでした。余命1年と宣告された執刀医から、その結果をみて、9割以上は再発の恐れはないと言われたのです。ハレルヤ!本当に心から主をほめたたえます。

 

神様からのプレゼント


 また、この証しを書いているときに、神様からすばらしいプレゼントを頂きました。退院後、手術の傷が痛むため重たい荷物が持てなかった私は、教会の方から頂いた賛美のテープを1日中聞いていました。そんな時に、「約束の虹」という曲が与えられたのです。そしてその曲が、今回、やすらぎの歌第4集に選ばれたのです。  これからも、賛美と感謝を通して神様の恵みを受け続けていきたいと思います。すべての栄光を神様にお返しします。

 

(マユミ)

 

み声新聞282号より抜粋−

 

教会では病のためにお祈りいたします。教会にお越しください。