右ひざが瞬時にいやされ、思わず礼拝中に走り回った
  著者(後ろの左から2番目)

◆ 生きて働く神との出会い

 私は戦後のベビーブーム、いわゆる団塊の世代、揺りかごから墓場まで競争、競争と言われるその時代の真っただ中に生まれました。故郷の愛媛を離れ広島に出て、長い時間がたちました。

 広島に出てから、40年ほど前になりましょうか。イエス・キリストに出会い、このお方を救い主と信じ、クリスチャンとなりました。信仰を同じくする男性との出会いがあり、結婚し、幸せなクリスチャンホームを築き上げておりました。

 夫は熱心に教会の奉仕に明け暮れる良き主のしもべでした。私は当時からナースとして働いていましたので必ずしも日曜が休みとはならず、あまり熱心なクリスチャンとは言えませんでした。

 1年9カ月前に主の十字架クリスチャンセンター広島・神の教会のある方に誘われて、礼拝に出る機会を得ました。この教会で、生きて私たちのただ中に働かれる神と出会えたことはこの上ない喜びです。


◆ 瞬時にいやしが走り出した私

 その素晴らしい体験は今夏、8月21日の第3礼拝においてでした。その礼拝に誘ってくださった方と2人で、車で約1時間をかけて会場へ出かけていきました。この礼拝は、神からの賜物が開かれるように、またいやしが行われるように願い求める礼拝だと聞いていました。

 私は右ひざのいやしのために祈りました。祈り始めると、急にどうしたことか、その右足を伸ばしてみたい衝動に駆られます。伸ばしてみるといつもと感じが違うのです。私の右ひざは長年、立つにも座るにも歩くにも不自由でありました。それが瞬時に良くなっているのが分かりました。私は礼拝中にもかかわらず、礼拝会場内を歩くというより、走り出してしまいました。礼拝が終わるまで、その喜びを押しとどめておくことができないほどに感動が満ちあふれたのです。ハレルヤ!


◆ 最善の時、そしてそれは神の時

 私は体調を崩してからは長年勤めていた病院を辞め、働けない状態が続いていました。でもその中で、礼拝出席などの教会生活が強められていきました。

 しかし、そろそろ仕事をしなければならない時が来ていました。私は、次にナースとして働くにはどうしても行きたい病院がありました。それは、夫が人生最後の5年間を入院していた病院でした。その病院で夫は手厚い看護と治療にあずかりました。2000年12月21日、夫はこの病院のベッドの上から天に凱旋(がいせん)していきました。

 しかし今、病院はナースの募集をしておりませんでした。ところが聞くメッセージや、メッセージの中で語られる知恵知識のことばがタイムリーに、「仕事に向かって一歩踏み出すように」「一歩踏み出すと奇蹟(きせき)が起こる」と、まるで私の背中を押してくれているかのようでした。そして、そんな中、私の右ひざがいやされたのです(この時の知恵知識のことばの中に右ひざのいやしも含まれていましたから、主をあがめます)。

◆ 願っていた病院に就職

 私は「神の時」を確信し、旧知の看護師長さんを訪ねました。需要と供給の原則の成り立たないところに「欠陥商品」を売り込んで、果たして売れるものでしょうか。しかし何とまあ、すんなりと話が進み、私は念願のこの病院に就職できたのです。今回ほど、天での夫のとりなし、教会内外での牧師夫妻や教会員の熱いとりなしの祈りの力を背後に感じたことはありませんでした。祈ってくださったお一人お一人に心から感謝しています。

 また、私はカウンセリングに重荷があり、10年来この方面の学びをしてきており、1年前に「産業カウンセラー」の資格を取得しています。このことを必要としてくれる場所で主に用いていただきたいと願っています。この病院の患者さんに向けて、私のこの学びが役立つなら、何とうれしいことでしょうか。主は確かに生きておられます。ハレルヤ!

広島県呉市  尾土平(おどひら)ツルヨ


み声新聞 334号より抜粋−

   教会では病のためにお祈りいたします。教会にお越しください。

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