ぼくの名前はカブ! 初めて筆で絵も描けたよ!

肺炎と無気肺がいやされた!

完ぺきな肺炎だ!

 


初めて筆で絵を描いているガブくん

ボクは、8月15日に体調を崩し、翌16日に入院となったが、でもボクは分かっていた。必ず神さまがいやしてくださると!

  最初は夏風邪だと言われたが、一気に悪くなり両方の肺から音がして、呼吸も苦しくなり、酸素を十分に取り込めなくなった。酸素マスクをして5リットルの酸素を流してもらったが、ボクは苦しくてほとんどウトウトと寝てばっかりいた。

  炎症反応も10を超え、白血球も2000ぐらいまで落ち、レントゲンを撮ると両肺が真っ白。右の方には水(胸水)もたまっている。完ぺきな肺炎だ!

  いろいろな治療が始まったが、体内の二酸化炭素もたまりだし、呼吸も更に苦しくなり、酸素テントの中でリザバーマスクを付けることになった。

 

教会の祈りを通して


そうして教会のみんながいやしの祈りをしてくださる中、厳しい状況となり面会禁止となったことを告げられたが、何が起こってもイエスさまが共に居てくださるからいやされると信じていた。その後、聖会で来られた東京アンテオケの責任長老牧師に祈っていただくため、短時間の面会を許可してもらい、酸素テントの中でボクは、手を置いて祈っていただいた。また一緒に来られた下関の牧師も共に祈ってくださった。

  祈っていただいた後から、肺にたまっていた痰の塊が何度も出て、それからずるずると痰が出て、熱も下がり、周りの先生や看護師さんが驚くほどボクは回復していった。先生は「渉クンの底力でしょう」と言われ、看護師さんからは「助かったネ」と言われた。

  しかしボクは、神さまを信じ、教会のみんなが祈ってくださっているから必ずいやされる事を信じていた。

 

筆で絵を描く


   退院日に、肺のCTを撮り詳しく肺の機能を調べてもらうと、無気肺が4カ所見つかったので、酸素マスクを自宅で付けて自宅療養となった。しかしその数日後には、状態も安定になり在宅酸素も外れた。

  その後、自宅で学校の授業中、絵を描く時があり、先生がはけに布を巻き、ボクに持たせてくれた。ボクはしっかりと筆を握り、左手で画用紙を押さえ、支えなしでポージング。先生も母もビックリ!

 


今年の白馬キャンプに参加したガブくんと家族

無気肺のいやし


また、訪問看護師の方にボクの筆を握った写真を見せると、とても驚き、「渉くんの体に何が起こっているの?信じられない」と言い、聴診器をあてながら「無気肺は、どこに行ったの?」 と首をかしげて、しっかり肺に空気が入っていることも確認してもらった。

また、退院後の検診でも、レントゲン、血液検査を受けたが、異常がないことが分かった。

また、この事を通し、神さまは、ボクのいやしとともに家族にも恵みをくださった。それはボクを3週間預かってくださる病院も見つかり、母と妹は今回のイスラエルチームにも参加できるようになったことだ。

 

「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
 それゆえ、われらは恐れない」 (詩篇46篇1、2節)


【この文章は、ガブ君の思いをお母さんが代わって書きつづったものです。】   ガブくんは、生まれた時からたくさんの障害がありました。おなかの中の十二指腸がつながっていませんでしたし、心臓にもたくさんの穴が開いていました。両方の目も白内障で、生まれて1カ月後にに水晶体を取り除いたので、裸眼では全く見えていません。また、生後3カ月で点頭てんかんを発症し、かなり脳にダメージを与えたのでほとんど寝たきりの状態で、病院の先生からも 「小学校に上がるまで、生きられるかな」 と言われていました。

 

み声新聞335号より抜粋−

 

教会では病のためにお祈りいたします。教会にお越しください。