〜自分のいやしと自分を通してのいやし〜




難聴がいやされ、聞こえるようになった著者

15年の難聴

 80歳になり長女と2人で暮らしています。難聴になって15年になります。難聴のため、日常生活も教会生活にも非常に不便を感じていました。アメリカ派遣で1度はいやされましたが、飛行機が日本に着くとまた聞こえなくなってしまいました。

 しかし、いつかはきっと神さまがいやしてくださることを信じていました。カリスマ聖会でも何度も何度も祈っていただきましたがいやされませんでした。もしかするともう駄目かなと不信仰になることも度々でした。



教会生活

 毎日の生活の中で時間はたっぷりあるので、聖書通読を毎日欠かさずに続けました。初めは訳の分からない事ばかりでした。もうやめようと思った事も何度もありました。しかし通読を続け、今はもう新約聖書は20回くらい通読ができました。旧約はそこまではできてはいません。しかしながら恵みによって、今では随分といろいろの事が分かるようになりました。

 また、礼拝も特別のことがなければ必ず出席しました。つい最近も、どうしてもしたい事があったので礼拝を休もうと決心しました。しかし牧師さんに相談したら、「休まない方がいいですよ」と言われました。結局は礼拝を選びました。



娘に与えられた喜び

 話は変わりますが、長女が心の病になって40年以上にもなります。非常に状態が悪い時が続きましたが、今ではすごく良くなりました。嫌がっていた洗礼を受けた後、娘にも変化が始まりました。


教会の方々と一緒に(前列左から2番目が著者、3番目が喜びが与えられた娘さん)

 カリスマ聖会で娘のために祈っていただいた時、喜びの霊が注がれているとの事でした。しかし私にはそのようには思えませんでした。しかしある時、牧師さんから思いもしないような事が語られました。「礼拝の中で娘さんが誰よりも一番喜んで踊るようにして体を揺すり賛美しておられ、変えられて良かったですね」と言われました。発病以来、喜びなど縁のない生涯であったのにと思う時、神さまの恵みがどんなに素晴らしいものであるのかを思い知らされ、感謝をしました。また、いよいよ時が満ちて神さまの素晴らしい働きが始まる事が教会でも語られ、期待をしていました。


眠っている時に

 そんなある日、夜明け前、眠っている中でバッシッと大きな音が聞こえました。そしてその後、冷たい空気が両耳に流れ込んできました。私はとっさに耳がいやされたのでは、と感じました。

 朝起きてテレビのスイッチ入れてみました。普段はボリュームを最大にしても何も聞こえないのに、ボリュームは中くらいなのに聞こえるではありませんか。ハレルヤ!今では補聴器なしでも何とか会話ができるようになりました。素晴らしい奇蹟のいやしを心から感謝するとともに、娘の病気と私の難聴もさらに完全ないやしがなされる事を信じて祈っていきたいと思っています。



近所の方が2人いやされた

 神さまの恵みに対して、80歳を迎えた私には何の働きもできないと思っていました。ところがつい最近の事ですが、近所のお年寄り方が2人続けていやされました。心臓が悪い方と、足、腰、ひざが悪く苦しんでおられた方です。思い切って、手を置き、祈らせていただきましたが、お2人ともご主人共々に涙を流しながらお礼に来られました。驚くとともに、神さまにすべての栄光をお返しします。

   (熊本市 山村幸恵)

み声新聞 340号より抜粋−

 
   教会では病のためにお祈りいたします。教会にお越しください。

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