長年の病「硬直性脊髄炎」からのいやし

 

関節リウマチから背骨のリウマチへ



英国の湖水地方で、左から奥さまと娘さん、著者の蔵元英司牧師

  わたしは小学5年の夏、昆虫採集で野原を走り回って遊んで帰った後に、時々、ひざが痛むのに気が付きましたが、次の年、リウマチであると診断されました。わたしの症状は中学2年の時ひどくなり、1年間入院したため中学2年を留年しました。初めは手足の各関節のほかに、あごの関節なども痛み、ほとんどすべての関節が痛みました。しかし、高校のころから背骨の関節が痛み、少しずつ硬直が始まり、一方、ほかの関節の炎症や痛みはやや下火になりました。病名は初めは関節リウマチでしたが、高校の時、硬直性脊椎(せきずい)炎(背骨のリウマチ)となりました。

 

通学は痛む足を引きずりながら

 

高校のころ、お医者さんはわたしに合う薬を見つけてくれて、その薬をその後ずーっと服用するようになりました。病院へ行くのは年に3、4回で、1回に1日6錠、1カ月分の薬を頂いてきます。お医者さんは「1日6錠飲んではいけませんよ。できるだけ少なくしてください」と言われるので、その1カ月分の薬で3、4カ月を持たせました。朝起きた時に、まず今日は何錠服用するかを考えます。1錠ならひざや股(こ)関節、足首など、あちらこちらの関節が痛みます。3錠なら痛みは少なくて済みますが、今度は胃が痛くなるのです。このようなことを、長年続けていました。通学は、関節が痛む足を引きずりながら通う日が多かったのです。

 

神のいやしに目が開かれ


  農業高校のある同じ町内に新居が与えられ、また、夫婦で礼拝は欠かさず守りました。家内はそれまで参加していた関東で開かれる超教派の集会に毎年わたしを誘って参加し、受洗後間もないわたしも、伝道熱心な超教派の集会で学ぶことができ、恵まれました。また、隣町に住む、いやしの信仰をお持ちの信仰の先輩とも出会い、楽しい交わりが与えられ、聖書に書かれている神のいやしに少しずつ目が開かれていきました。

 農業高校に就職し、また結婚してからも、リウマチの薬は同じように服用していました。わたしのリウマチの症状は、20歳ころからある程度落ち着いてはいましたが、薬の服用は欠かすことはできませんでした。そのような状態が続いていた1980年に、わたしに不思議な体験が与えられました。その年、盛岡での超教派の小さな集会に有名な牧師が講師として来られ、その方の素晴らしいメッセージのテープをよく聞いていたわたしたち夫婦は集会に参加しました。

 

盲人のこじき バルテマイ


とても恵まれた集会でしたが、わたしにとって本当の祝福はほかにありました。地元のキリスト教書店が来て本などをその会場で販売しておりました。これでも買おうかと、よく知らないで手に取ったのが、世界で最大の韓国の教会の牧師のメッセージテープでした。

 帰ってからそのテープを聞いて、奇蹟(きせき)は起こったのです。新約聖書のマルコの福音書10章の、盲人のこじきバルテマイがイエスさまに目を開けていただいたところからのメッセージでした。10章50節で、バルテマイがイエスさまのところに行くのに「上着を脱ぎ捨て」て行った、と書いてあることから、その牧師は力強く話されました。盲人のこじきにとっての上着は、それを着ているとこじきであることが一目で分かり、人々に恵んでもらえる生活の糧であると。その大事な上着を脱ぎ捨てたということは、イエスさまに必ず目を開けていただけるという信仰の表れであると。

 

「上着を脱ぎ捨て」「薬を捨てなさい」


 わたしはこれを聞いて、神さまより薬の方に頼っている自分の姿を示されました。お医者さんからの薬は大事です。勝手にやめてはいけません。神さまは医学も薬も用いられます。しかし、この時は、50節のみことばの「上着を脱ぎ捨て」により「薬を捨てなさい」と示されたのです。何回かテープを聞き直してからでしたが、示しを感じて、まとめていただいていた薬を捨てました。次の日から痛くなるはずでしたが、痛くなりません。2日たっても、3日たっても、1週間、2週間とたっても痛くなりません。それで、薬から離れることができたと確信しました。以来、28年たちますが一度もリウマチの薬は服用していません。ただし、薬を捨てたのはこの時だけで、もちろん風邪とかではお医者さんの薬は飲んでいます。主の御名を心より褒めたたえます。

 

一人娘の通訳で英国でも証し


祝福はこれだけではありませんでした。薬をやめたのは結婚して7年目でしたが、まだ子どもがいませんでした。ところが、思いがけず次の年、長女が誕生しました。一人娘ですが、娘を通しても多くの恵みにあずかっています。昨年6月に、娘が7年滞在した英国から帰国するので、夫婦で英国に行きました。その時、娘がスタッフをしていた教会の家庭集会で、このいやしの証しを、娘の通訳でさせていただきました。本当に感謝でした。

 また、今は献身して牧師として元気に主に仕えています。
 「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです」ヨハネの福音書15章16節


 2007年11月のエジプト・イスラエル派遣で、
  ピーターズ・フィッシュを食べている蔵元牧師

 

 

(宮城県 蔵元英司)

 

み声新聞485号より抜粋−

 

教会では病のためにお祈りいたします。教会にお越しください。