脳性まひのいやし、奇跡的な成長

 

息子のヨシュアは、もうすぐ1才になるという時、てんかんの発作を起こし、「脳性まひ」で、このままではおすわりもハイハイもできないと診断されました。そのヨシュアが、白馬キャンプでの癒(いや)しの祈りの後、急に変わったのです。

 

守られたハイリスク出産


  2009年5月に、第二子を出産しました。私は5才にして、重度の膠原(こうげん)病をわずらい、東大病院の小児病棟で闘病生活を送りました。成人してからは、医師から「将来、出産は無理です。病気のためにも結婚も控えたほうが賢明です。」と言われていました。
  病気の苦悩から真実なる神を呼び求め、切なる飢え渇きからイエス・キリストを信じ救われました。そこから私の人生は180度変えられました。教会で主人と出会い、結婚し、病気が癒(いや)され、娘が与えられたのです。産後は、病気の再発を予告されましたが、再発どころか、神様はさらに元気で丈夫な体へとますます強めてくださり、心配した全ての災いから守り、祝福で満たしてくださいました。本来、私の人生にはなかったものが、全て、神様の手には用意されていました。
  生ける神様を伝えるために、夫婦で共に神様を賛美する働きをしてきました。主人が神学校を卒業すると福島で開拓教会の牧師となり、当時2才だった一人娘が10才になった時、主人が東京アンテオケ教会の牧師となり、家族で東京へ移動しました。
  子育てもひと段落し、教会の働きも、賛美の働きも神様の御手の中で流れるように進んでいく中、娘が12才の時です。二人目が与えられたのです。
  一人娘が与えられただけでも、私にとってはあり得ない恵みなのに、神様は、息子も与えてくださったのです。
それにしても、子供たちは、12才の年の差。上の子は20代で出産しても、二人目は40代で出産するという高齢出産。過去に重度の膠原(こうげん)病の病歴ということで、すぐに大学病院のハイリスク産婦人科で受診となりました。その上、妊娠性高血圧症にかかってしまい、しかも妊婦用の血圧の薬は、膠原(こうげん)病だった者には禁止で使えるものがないということですぐに入院となりました。
  神様だけが頼りで、祈ればきいてくださるお方がいる、より頼む神様がおられることは、どんなに恵みなことかと思いました。妊娠8カ月の時、血圧が220になり緊急帝王切開となりました。教会の祈りに支えられる中、出産となりました。

 

2カ月早い、1295グラムでの誕生

出産予定日より2カ月早く生まれた息子は、体重1295gという小さな体で産声をあげました。名前を聖書から示され、ヨシュアと名づけました。私の両手の中にすっぽり包まれる小さなヨシュアは、NICU(乳児集中治療室)に2カ月間入院しました。懸命に生きているヨシュアに、私ができることといったら、毎日神様に祈ることと、母乳を冷凍して毎日病院に届けることでした。ところが、ヨシュアはある日から、母乳を飲むと吐くようになり、どんどん体重が減っていきました。とうとう1008gまで減り、点滴だけになってしまいました。検査の結果、母乳・ミルクアレルギーであることが分かったのです。ヨシュアのためにと、せめてもの思いで、母親として最低限の役割を担ったつもりで届けた母乳が役に立たず、逆に彼の体重を減らしてしまっていたとは、自分の無力さに、どうすることもできなくなってしまいました。神様に祈り、弱さを感謝し、私がこの子を大きくしようと思った母親としての高慢も悔い改め、全てを神様に感謝し、全てを神様にゆだねました。親も何もできない領域で、働かれる神様に祈り、神様ご自身がヨシュアを大きくしてくださるように祈り続けました。特殊な大豆のミルクが合うことが分かり、ヨシュアは2100gになって退院することができました。今では大きいほうとなり、とても未熟児だったとは思えないほどに、神様はヨシュアを大きく成長させてくださいました。
  発達面では、早産の子は何かと遅く、2カ月早く生まれた分、2カ月分を差し引いた発達状態(修正週数)で見ていくのですが、それにしてもヨシュアは首の据わりもあまりに遅く、4カ月分、5カ月分とさらに遅れをとっていきました。月日が進むとともに、手の動きや足のつっぱりが気になり夫婦で心配していましたが、毎月、大学病院でも保健所でも発達健診の診断結果は「異常なし。遅いけど、まだ許容範囲です。」ということでした。


「てんかん」、「脳性まひ」との診断

もうすぐヨシュアが1才になる、ある早朝のことです。ご機嫌だったヨシュアが突然急変しました。病院に駆け込むと、ヨシュアは口から泡を吹き、意識を失っていきました。みるみるうちに、紫色になっていくヨシュアを看護師達がバタバタとり囲み、周りが騒然となりました。機敏に措置がとられ、酸素吸入でまもなく呼吸を取り戻すことができましたが、そのまま入院となりました。そして、脳波検査でその日のうちに「てんかん」と診断され、さらに一週間後、「脳性まひ」と診断されたのです。
  右の脳の一部が虚血していて、運動中枢をつかさどる部分を通っているため、おすわりもハイハイもこのままではできず、リハビリ訓練をしていけば4才くらいまでに歩けるようになるだろうこと、また、歩けるようにまでなれば、小学校は普通に行けるようになると説明を受けたのでした。
  神様は最善しかなさらないと心で覚悟はできていたものの、一瞬にショックと絶望感、申し訳ない思いでいっぱいになりました。しかし、すぐに礼拝のメッセージを思い出し、そして「神様は、この試練を通して主の祝福と栄光を現される。私達を整えてくださるのだ。」と強く確信が与えられました。また、主人もヨハネの福音書9章3節から、「神のわざがこの人に現れるためです。」とはっきり語られ、家族でこのスタートを感謝していきました。神様は最善、神様のご計画は完全、と家族で神様を賛美してたたえました。

思うように進まないリハビリ


  退院してからは、癒しの祈りを率先して受けると同時に、リハビリの日々が始まりました。週に一度、病院でヨシュアに合わせたリハビリ動作を習い、ほとんど自宅でこなしていくのですが、1才にして、うつぶせしかできないヨシュアがまず、ハイハイができるようになるかどうかは一つの大きなポイントでした。歩くことに大きく影響するからです。
  ヨシュアの場合、ハイハイも四つんばいも、その一つ一つの姿勢を親が作ってあげて、何度も何度も繰り返し、たたきこんであげなければ、自分からすることは一生ないのです。しかし、何度も繰り返してあげることで、脳の別の部分が学習し、その姿勢をとることができるようになっていくというのです。ところが、ヨシュアは支える腕の力がなくて、四つんばいの姿勢をとることすらできないのでした。ハイハイも、片手ずつ出してあげて覚えさせるのですが、足が全くついていかず、スカイダイバーのような格好になり何度も顎を打ってしまうのです。本人も、情けなくなり切ない声で泣くのですが、親もその姿を見て泣く始末で、リハビリも一日トータル4、5時間に及ぶ割りに進まず、たった3カ月で途方に暮れてしまいました。
  その上、私は産後、変形性股関節症をわずらい、「できれば即、人工股関節の手術」と医師から勧められ、ひどい時は激痛が走り、私も歩けないのでした。かと言って、ヨシュアのリハビリをやらないと、赤ちゃんの体は悪い方に固まるのも早いため、今、親がやり続けるというその責任は大きいと言われました。すべてが八方ふさがりになりました。いよいよ限界という7月末、教会の白馬キャンプがあり、そこで、すがる思いで癒(いや)しの祈りを受けたのでした。

 

「驚異的、奇跡的」医師が驚く変化


  8月に入り、白馬キャンプの癒(いや)しの祈り以降のことです。急にヨシュアが変わったのです。ハイハイまではいかないものの、自ら四つんばいになったり、おすわりしたりと動き出したのです。体がスムーズにくるくると動きだし、教会でヨシュアを見た方々は、感動のあまり泣きだす方や、ハレルヤ! と神様をたたえ、喜び踊る方もいるほどでした。病院に行くと、リハビリの先生も「この子のここ1カ月の発達と成長の早さは、驚異的だ。奇跡的。4才どころか2才で歩行可能。」と何度も驚いていました。先生は脳性まひの赤ちゃんのリハビリ30年のベテランで、多くのケースを見ているため余計びっくりしたのです。その後、教会でさらに、具体的に祈っていただきました。すると一週間後、ヨシュアは突然一気にハイハイをし始めたのです。1才4カ月になっていました。つきようのない、鍛えようのない腕力は、みるみる与えられ、左手がグーの形で内側にねじれていたのがきちんとパーの手に開き、左右の手を一歩一歩交互に出し、力強く進み出したのです。初め、目を疑ったほどです。帰宅した主人は、玄関を開けるとハイハイして自分に向かってくるヨシュアを見て驚き、抱きしめ、泣いて「神様、感謝します。神様、感謝します」としばらく、感謝の祈りをささげていました。
  最近では、医師に「急に、興味を持つ意識が出てきて、顔が変わりましたね。この子の場合、どういうわけか、一度訓練しただけで、できるようになってきている。もう教える訓練は、ほとんどなくなりました。」と言われました。周りの方々は、みな、「まるで別人」「本当はこういう子だったんだ」「夢見てるみたい」と言っています。
  神様は、親もリハビリもできない、限界お手上げの領域に触れ、生きて働いてくださったのです。欲しいおもちゃまで自分でたどり着ける喜び倍増のヨシュアが満面の笑みでこちらを振り返るたび涙があふれてきます。
  ヨシュアだけではありません。癒しの祈りで8月以降から、私の変形性股関節症の痛みも消えたのです。レントゲン検査では骨の状態は変わっておらず、医師は「かなり痛いはずだ」というのですが、あの激痛、痛みから解放されたのです。ハレルヤ、主をたたえます。癒(いや)し主であられる神様を体験しました。

 

賛美する中で受けた恵み


  そして、この素晴らしい神様をたたえ賛美することは、いかに力であるかもさらに体験しました。
  実は、ヨシュアが生まれてから、夫婦で賛美の働きをすることは実際、困難が伴い三度選択を迫られました。
  一度目は、産後の私の状態でした。妊娠性高血圧症は、赤ちゃんを産めば血圧がすぐ下がるのですが、私の場合、1カ月経ってもなかなか下がらず、めまい、頭痛にさいなまれ続けていました。医師も投薬できずにいました。その中で神様に祈ると、賛美をするように語られました。産後1カ月で、めまい、頭痛がひどく無理と思いましたが、ちょうど都内の大学での伝道メッセージと賛美の働きの依頼があり、そこから復帰し、賛美しようと決断しました。すると決断したその日から、血圧がストンと下がって、体が一気に楽になったのです。   二度目は、膠原(こうげん)病の再発を医師に言われたことでした。産後一年後に再発の可能性が高いということで、回避するには「この一年間は、育児も家族の協力を得て、なるべく安静に。太陽には当たらず、毎月血液検査を受けてください」とのことでした。無理をして体を壊したら…と恐れが来ました。しかし神様に祈ると、賛美するように、路上ライブにも出るように語られました。そこで、路上に出て、太陽に当たり賛美していると、ミャンマー人のクリスチャンの方が、「賛美を聴き、感動した。それに妊婦だったあなたが、もう主を賛美している姿に驚いた。」と言って来られました。神様に語られて出ていることを話すと、「あなた方の教会から学びを受けたい。」と言われ、ミャンマー人の方々の教会と関わりが開かれました。
  数カ月後、検査に行くと「あなたは治らないはずの膠原(こうげん)病が治っている。毎月検査をすることこそ、精神衛生上よくないストレスになるから、一切検査を止めましょう。負うべきでない十字架を負う必要はない」とクリスチャンではない医師に言われたのです。   三度目は、ヨシュアの病気が診断された時です。てんかんと脳性まひのヨシュアを連れて、夫婦で賛美の働きをすることは、かなり過酷と思われました。ヨシュアを見てくださる方も与えられましたが、万が一てんかんが起きた場合、親しか対応ができないため、夫婦で賛美することは無理だと思いました。しかし神様に祈ると、主を賛美するように語られました。みことばも与えられ、「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが、突然大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、皆の鎖が解けてしまった。」(使徒16:25、26)賛美し続けるなら、ヨシュアが守られるばかりか、鎖が解かれ扉が開かれる。ほかの捕らわれ人も、皆の鎖が解かれる。奉仕に限らず主を賛美しようと、自分達も含め、皆の鎖が解かれることに強い確信と平安が与えられました。
  しかし実際、賛美の働きは車で遠出もあり、対応のため医師にも相談しました。私達の働きを知った医師は、「こんな素晴らしい働きを止めてしまうほど、ヨシュア君のてんかんは命にかかわるものではありません。ぜひお母さんも活動を続けてください。逆にヨシュア君が動けない分、いろいろな所に連れて行ってあげてください。救急車がすぐ来れる所なら。」と言われました。

 

「賛美のCDを聞いて励まされています」


 それから半年経ち、つい先日のことです。病院に行くと小児科の医師に言われました。「賛美のCDを、小児科の医師全員で聴きました。非常に感動し、小児病棟のプレイルームで毎日かけています。難病の子供たちがCDを聞いて、毎日励まされて生きています」と。私達の思いを超えた神様のご計画を知り、涙が止まりませんでした。
  私自身、かつて難病の子供でした。神様に救われ癒され、神様を賛美し伝える者に変えられました。息子も病が許されましたが、神様は癒(いや)し、そればかりか、息子の病を通してさえも、難病で苦しむ多くの子供達に神様は触れてくださっています。神様は最善しかなさらず、神様のご計画は完全です。今では、病院に行くたび、コンタクトの取れる小児病棟の親子を、ヨシュアとともに訪ね、祈ったり伝道する機会が与えられています。
  イエス・キリストを信じるなら、どんな困難も祝福と希望に変わる。それゆえ、全てが感謝すべき恵みなのだと実感しています。神さまに心から感謝します。

 

 

 

(東京都中野区 三本松春美)

 

−(月刊「雲の間にある虹」2010年12月号(雲の間にある虹出版発行)より転載)−

 

教会では病のためにお祈りいたします。教会にお越しください。