壊死していた部分が回復! 脳性まひのいやし

 

息子ヨシュアは、生後11カ月でてんかん、脳性まひでこのままではハイハイもできませんと診断されました。しかし、神様に祈ると確信と希望が与えられました。神様のみわざは、私たち家族の想像をはるかに超えたものでした。

 

「脳がすっかり、治っています」

 

 先日、受診で画面に大きく写し出された2歳の息子の脳のMRI。「脳がすっかり、治っています。」

 一年前のMRIと比較しながら説明する医師の言葉に、私たち夫婦はしばし放心状態となりました。神様のいやしのみわざにあまりにも驚いてしまったからです。

 

生後11カ月で脳性まひの診断

 

 一年以上前のことです。生後11カ月だった息子は突然、けいれんを起こし意識を失い、病院に入院しました。

 息子(ヨシュア)は、予定より2カ月早く1295gという未熟児で生まれました。その上、母乳もミルクもアレルギーで飲めず、神様により頼む日々。主がここまで大きく育ててくださった子です。

 発育の遅れは当然のことながら、普通の子にすれば、ヨチヨチ歩きを始める1才間近。この子はやっと首がすわったばかりで、ちょうど生後5カ月のような状態でした。病院や保健所をかけめぐり、夫婦で非常に心配していた矢先の事でした。

 運ばれた病院先で、脳波検査で「てんかん」と診断され、さらに一週間後、MRI検査で「脳性まひ」と診断されました。

 「ご覧のように、脳の一部が壊死しています。運動中枢をつかさどる部分を通っているため、このままではおすわりもハイハイもできません。歩けるようになるためにも、今からリハビリを。何度も訓練することで、脳の他の部分が代わりにとらえ補うようになり、もし4歳までに歩けたら普通の小学校にも通えるでしょう」ということでした。

 動揺しながら、やっとの思いで平静を保ち聞いた医師の説明。しかし、溢れ流れる涙とともに、息子に対する罪責感でいっぱいになってしまいました。あの時こうしていれば、この時こうしていれば。なぜ、我が家にこのような事が……。

 

「神のわざがこの人に現れるためです」

 

 堂々巡りの中、神様に祈ると、一つの確信が静かに満ち始め、しっかりと私を支えてくれたのです。「この事が完全なる神様に導かれていて、まちがいのない道である」と。短時間のその時を、今でもスローモーションで映し出されていくように、鮮明に覚えています。

 時同じくして、主人も聖書からはっきり「神のわざがこの人に現れるためです」(ヨハネの福音書9章3節)との言葉をいただきました。

 私たちは、起きた現実にこの道を通してでしか得られない祝福と整えがあると希望にさえ変わり始めていました。「このスタートを神様に感謝していこう」と、家族で祈り賛美しました。感情とうらはらに賛美するその言葉は、告白となり、力、励ましとなって自分に返ってきました。

 教会では祈りの手があげられ、日々、率先していやしの祈りを受けていきました。

 

想像を絶するリハビリの日々

 

 しかし、そこから始まった過酷な日々。早速、親子で始まったリハビリも想像を絶するものでした。実際、おすわりをするための筋力がない息子に腹筋をつけていくこと。四つんばいもハイハイもできず、する意識すらない息子にその動作をとらせることから、一苦労でした。一日数時間に及ぶリハビリのほか、生活すべてがリハビリを取り入れた育児へと変わりました。普段の抱き方も、わざと落ちそうに抱き、ヨシュアが少しでも私にしがみ付こうとすることで腕力と腹筋をつけるのです。少ない腕力で必至にしがみ付こうとする息子を抱きながら、親がしっかり抱いてくれないこと、母親からいつも落ちそうに抱かれることでこわい、寂しいと心理に影響しないか、いつも心配になりました。しかしそんな時、「抱っこの間中、この子の心を神様の平安で守ってください。」と心の中で祈ると、不思議とヨシュアが微笑むのでした。リハビリを数か月かけて、息子はようやくおすわりができるようになったのでした。

 ところが反対に、変形性股関節症を患っていた私は、手術を要する段階にまで進んでしまいました。度重なるリハビリの負担でさらに悪化していき、激痛が走るようになり、寝ても覚めても痛みから解放されることはなくなりました。ベビーカーにつかまらなければ私も歩けない状態で、我が子のリハビリを続けることも限界になっていきました。しかし医師に相談すると、「赤ちゃんの体は固まるのも早く、今、母親がなす責任は大きい」ということ。

 一向に動けない息子とともに、激痛が走ると親子で一緒に倒れて泣く始末。今日その日がこなせなくなり、ついに私的に決断したのは「人工股関節の手術」でした。

 早速、実家の両親が、ヨシュアのリハビリを含め、見てくれることになりました。しかし、その後、断りのTEL。父が突然入院するというのです。父が入院するのは初めての事でした。そこで、行政に相談すると「そういう親のために乳児院があります。しかし、脳性まひの子は入れません。」と施設を紹介されました。ところが施設では、「もっと重度の子の枠のみです」と全てふさがれました。どうすることもできない中、すっかり心身共に追いつめられてしまいました。

 

信仰と希望、確信と喜び—祈りと御言葉を通して

 

 祈るしかないものの、神様の言葉が成就するその時まで、実際、今日をどう乗り越えたらいいか切羽つまる日々。ある日、教会で語られたメッセージが心に響いてきました。「八方ふさがりの時、天だけは開いているのです。神様に行くのです。神様は必ず答えてくださいます。」

 絶望の中、再び神様に祈り始め、一心に聖書を読み進めていると、とめどなく涙が溢れてきました。

 ベテスダという池の端で、38年間もの間、病気で歩けない男のところに主が来られた箇所です(ヨハネの福音書5章1節〜)。「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と言われた瞬間、その人は、すぐに治って歩き出したという箇所があるのですが、その瞬間、その男の人と私たち親子が、オーバーラップしました。神であられるイエス様ご自身が、歩けないヨシュアと私を心配して向こうから来てくださったのを肌で感じました。ものすごく平安に包まれてしまい、「床を取り上げて歩きなさい。」とまるで耳元で主の声を聞いたようでした。私は床(寝込む)の必要なんかなくなる、ヨシュアはすぐに治って歩き出す、と次々と確信が来ました。ともに主がおられることを実感していると、再び信仰と希望と確信が強くみなぎってきたのです。「さらに、牧師にいやしの祈りをしてもらおう。さらにこの神を賛美し続けよう。」と喜びまで溢れてきたのです。

 未熟児で母乳もミルクも飲めない我が子を大きくしてくださった大いなる神の御手を体験しながらも、またもや、まるで自分が丈夫だったら子供に何でもしてあげられたかのように錯覚していた自分を悔い改めました。

 

医師が驚く顕著ないやし

 

 それから1カ月後、ヨシュアは目に見えるようにいやされていったのです。

 ある日突然、一気にハイハイを始めたのです。四つんばいのまま動けず、手を交互に出すということすら、どんなに教え込んでもできなかったヨシュアが、夜には、帰ってきたパパをハイハイでお出迎えするとういう光景に家族で目を疑うほどでした。

 その後、グーの形で内側に曲がっていたヨシュアの右手は、まっすぐにされパーの手に開き、足のつっぱりは取り去られ、つかまり立ちができるまでにいやされました。それは、リハビリ医師が「この期間でここまで治るとは驚異的。奇跡的だ」と驚くほどでした。教会の方々は「ヨシュア君があまりにも次々と顕著に治っていくのを見たもので。」と泣いて主を称えていました。彼は不思議と日曜日に、教会で兄姉の見ている前で今までできなかったことを成していきました。教会には、神様の力が満ちておられることを感じました。

 

歩き始めたヨシュア、股関節のいやし

 

 しかし、ハイハイが8カ月以上も長く続き、なかなか歩くことができず、療育センターで、歩行訓練が始まろうとする頃でした。教会で礼拝中、ヨシュアは突然何にもつかまらず、スクッと立ち上がり、すたすたと歩き始めたのです。神様は、4歳どころか2歳でヨシュアを歩けるようにしてくださいました。そればかりではありません。あれほどの激痛で歩行困難にまで陥った私の股関節の痛みも、うそのように取り去られたのです。はじめ神経が麻痺したのではと思ったほどです。神様は、私たち親子をいっぺんにいやしてくださったのです。

 

 今回、目の前にはっきり現わされたヨシュアの脳の完全ないやしと回復。カルテから外された「てんかん」の病名。人の力ではどうすることもできない領域に、神様は確かに生きて働いてくださいました。八方ふさがりの中、御手を差し伸べてくださり、みわざを起こしてくださいました。主が働いてくださらなければ、ヨシュアは今なお、ハイハイの訓練をしていたことでしょう。

 8月から、ヨシュアは保育園に入り、元気に通園しています。いやされる前は、面接の結果、病気が理由で特別支援クラスとなり、少数の枠しかないために、待機となった保育園です。いやされてから、普通の子と同じ扱いで通うまでになったのです。

 ヨシュアがいやされる度ごとに、上の娘に笑顔が戻ってきました。弟の健康を生まれる前から、毎日祈ってきた娘が受けたこれまでの衝撃は計り知れず、家族で歩み続けたこの2年半。神様のみわざは、私たち家族の想像をはるかに超えたものでした。

 息子に許された試練を通して、すばらしいみわざを現された神様に心から感謝いたします。

 

 

 

(東京都 三本松春美)

 

−(月刊「雲の間にある虹」2011年10月号(雲の間にある虹出版発行)より転載)−

 

教会では病のためにお祈りいたします。教会にお越しください。