教会に導かれ、うつ病がいやされた

 

私は、神様を信じていなかった頃、「一人で生きて行ける、努力すればどうにかなる。」自分は強い人間だと思い込んでいました。夢中になるとすぐに物事にのめり込んでしまい、勉強でも仕事でも若さに身を任せて誰にも頼らず突き進む生き方をしていました。

 

無理をしていた人生

 

  高校から機械の勉強をするようになり、自分に向いている科目だったこともあり、成績は常にトップでした。進学して専門学校でも、技能オリンピックに出場し、周りから「優秀な生徒だ。後藤ならどこの会社でも通じる。」とよく言われており、自分の中でも自信に満ち溢れていました。

 

しかし、今考えて見るとその頃から体に無理をさせる生き方をしていたと思います。

 専門学校を卒業し入社した先でも、たまにミスは出るものの、覚えがいいとよく褒められ、入社一年目で既に難しい仕事も任されていました。

 

風邪などで体が弱っている日にも、休まず働きました。そして毎日深夜まで及ぶ残業。休日も取らず、仕事!仕事!に明け暮れていました。そのせいで体重は落ち笑顔は消えていました。

 

ストレスや疲れによる体の異常

 

  そして、入社三年目を迎えようとしていた時でした。仕事中、急に首から背中の辺りが熱くなり激痛が走り、手が痙攣して来たのです。その日は、早退しすぐに病院に行きました。レントゲンを撮ってもらいましたが特に異常はなく「薬で様子を見ましょう。」と言われました。しかし、薬を飲んでも痛みは取れず、その後MRI検査、血液検査、すべて異常なしでした。しかし、原因不明の痛みにストレスが溜まり、仕事には全く身が入らず休みがちになってしまいました。

 痛みはどんどん増し、眠れない日も出てきて、不安定な心の状態が続いていきました。そこで、覚悟を決め、精神科の病院で診てもらう事にしました。

 診断の結果、先生の口から「典型的なうつ病です……」と。

 頭の中が真っ白になり、帰りの車の中では涙が止まりませんでした。今まで自分は強い人間だと思い、常に前へ前へと突き進んで、心の病気とは無関係だと思っていた自分がうつ病に……。当然、病気を受け入れられる事など出来ず、涙ばかり出てきました。

 

病気の悪化と休みがちな日々が続き退社…

 

 うつ病と診断され仕事を二週間ほど休みましたが、体は一向に良くならず、さらに三カ月休む事にしました。さらに通っていた精神科の主治医との相性が合わないと感じ、病院を変えたいとも思いました。薬はますます増え、眠れない日が2、3日続く時もあり、感情の起伏がかなり激しい状態が続き、症状は悪化していました。毎日、心の苦しさを紛らわせるために酒に頼り、拒食、過食の繰り返しで、体重は以前65キロあったのが、拒食で58キロまで減ったと思えば、過食になり86キロまで増えたりしていて、心身共にかなり弱っていました。自分自身で生きていくことに限界を感じ、自殺願望も芽生え始め、ときどき「死にたい……。」と思ってしまう時もありました。

 

会社は、休職と復職の繰り返しで、発病から一年後とうとう社長から退社を促され、私は当然ながら退社を拒む事は出来ず、その場で退職手続きをとりました。

 

教会への導き!

 

 職を失い、うつ病や不眠症の症状はさらに悪化し、家に引きこもる生活が続き、生きる気力を失い自殺願望はさらに増していました。親にはかなり心配され、神社にお払いなどにも連れて行かされていました。それでも、症状は良くなるはずもなく、毎日下ばかり向いて、気分は落ち込むばかりでした。また、薬のせいかイライラしている日が続きました。

 

そんな日が続いている中で、ふと頭の中に高校の時に担任の先生で牧師でもあったS牧師の言葉を思い出したのです。

 「イエスさまは、信じる者すべてを救って下さるんだよ。」

 

今まで宗教には無縁の人生を送ってきた私でしたが、なぜかその時は神様を信じてみようと思ったのです。

 早速、次の日に母校に行き、今は東京にいるS牧師の連絡先を聞き、電話を通して祈ってもらいました。今まで自分一人の力で生きてきましたが、初めて心から神様に祈る事によって自分は一人じゃないんだと感じ、今までに感じた事のない思いが込み上げてきて涙が出てきました。その時、S牧師に教会に行くことを勧められました。以前は、教会と聞くと抵抗を感じていましたが、その時は今の自分の心の状態を救って下さるのは神様しかいないと思い、次の週の主日礼拝に参加しました。そして、その礼拝でイエス様を救い主と信じる信仰の告白をし、救われました。

 

感謝の祈りでいやされ、薬が減っていく

 

 教会に通い始めたばかりの頃は、どうやって祈ればいいのかわかりませんでしたが、聖書のテサロニケ人への手紙第一5章18節「すべての事について、感謝しなさい。」の御言葉に従い、病気や無職である事などのたび重なる困難や問題すべてに感謝の祈りをする事にしました。  当時は、抗うつ剤や精神安定剤、睡眠薬などで一日に20錠ほど薬を服用していました。薬に依存はしていませんでしたが、あまりの薬の量に主治医に不信感があり、教会に通い始めるとほぼ同じ時期に病院も変えました。

 新しく通い始めた病院では、「薬を多く飲み過ぎているから、少しずつ減らしていきましょう。」と言われ、わずか三カ月程度で薬が半分以下にまで減りました。

 

薬が減り身体が徐々にいやされ、アルバイトまで出来る身体になっていました。感謝の祈りが神様に通じているのだと実感しました。

 

不眠症がいやされる

 

  教会に通い始めて一年が経った頃には、薬は4錠程度まで減り、身体は軽くなり無表情だった顔に笑顔が戻っていました。しかし、眠れない日が続いていて、まだ強い睡眠薬に頼っていました。

 

そのような日が続いていたある日、聖会に誘われました。アルバイトは休みだったので参加する事が出来ました。

 

聖会の講師のP牧師がいやしの祈りで「眠れない人がいます、その方がいやされました。」と言われました。その時は、まさか自分が? と思っていて特に気にしてはいませんでしたので、その後も夜に薬を飲んで寝ていました。

 

しかし、何日か経つと日中に今までにないような強い眠気が来るのです。医師に相談してみると「睡眠薬じゃなくて安定剤だけでも眠れるんじゃない?」と言われ、その日から睡眠薬の服用を止め、安定剤だけを服用して眠る事にしました。驚いた事に、それからずっと安定剤だけでぐっすり眠れたのです。「聖会の時に不眠症からいやされたんだ」と思い、すぐに安定剤の服用も止めました。ハレルヤ! 神様がいやして下さったのだと信じました。

 

職が見つかる

 

 不眠症から解放された私は、もっと神様に身を委ねようと思い、アルバイト生活では礼拝に参加出来ない日があるので、日曜日に休める製造業の職を探そうと決意しました。ただ、就職難でなかなか採用されず、教会のW牧師に相談すると「具体的に祈ってみたらいいんじゃない?」と言われました。神様は薬漬けの生活から救って下さったんだ、神様なら必ず何とかして下さると思いました。

    

次に受ける会社が決まった時は、面接の前にW牧師にも報告して祈っていただく事にしました。面接は2時間近くも続きましたがすべて答えやすい質問で、かなり好感触で終わりました。そして後日、採用通知が来ました! なぜ今まで祈らなかったのかと自分の不信仰に気付きながらも主の恵みに感謝しました。



地震から守られ、薬から完全に解放される


新しい職場の環境にもすぐに慣れ、毎日主に感謝し、礼拝には毎週通えるようになり、4カ月が経った時でした。東日本大震災が起きたのです。誰もが経験した事のない大地の揺れに職場の皆はただ怯えていました。しかし、私は今まさに試練の時が来たんだと思い、地震の恐怖に怯えながらも祈り続けました。帰宅途中は、渋滞には巻き込まれましたが、事故に巻き込まれることはなく帰宅し、その日のうちにガソリンの確保も出来、ただ神様に感謝する日々でした。

 

しかし、福島第一原発が爆発し、放射能の不安によるストレスで心身共に疲れていました。その時、服用していた抗うつ薬は少し家にありましたが、不安に思い、病院に薬をもらいに行き診察してもらい医師に身体の状態を伝えたところ、「今の状態なら薬を止められるのは時間の問題じゃない?」と言われました。その日、薬は処方してもらいましたが自分の中で「もう、薬には頼らず神様に身を委ねよう」と決意し、一日一錠飲んでいた抗うつ薬を完全に止めることにしました。

 

それから、震災の影響か製造業はかなり忙しく毎日残業が続き、交代制で夜勤もするようになりました。しかし、薬を飲んでいないにもかかわらず体調は至って良好で、むしろ残業や夜勤にも耐えられるようになり、以前より体力が増し、心にも余裕が出ている程でした。

 

神様を信じ教会に通うようになって二年が経ち、うつ病がいやされ、職が見つかり、東日本大震災から守られました。地震が起きた時にアルバイトの収入では生活が厳しかったと思いますが、正社員の職が与えられ経済的にも守られました。

 

今思うと、すべては神様のご計画だった、病を通して私の弱さを教えて下さり教会へと導いて下さったんだと信じています。そして、ここに証しが出来たことに心から主に感謝し、主に栄光をお返し致します。

 

(後藤義雄 福島県福島市)

 

−(月刊「雲の間にある虹」2011年11月号(雲の間にある虹出版発行)より転載)−

 

教会では病のためにお祈りいたします。教会にお越しください。