鉄格子の保護室からの救いといやし
鉄格子の中での出会い
私と妻とは入院中に病院の中で出会いました。彼女は16歳で発病し、統合失調症(当時は精神分裂病)と診断され、14年もの間、入退院を繰り返していました。
当時の私は大麻や覚せい剤に手を出して、その結果、精神に異常をきたし、精神科の病院に入院していました。病院では、「心因反応」という病名がつけられ、入院患者の中でも特に病状の悪い人が入れられる「保護室」という個室に度々閉じ込められていました。私はその保護室の中で、「私の人生も、もう終わりだ」と絶望していました。
十字架の救いといやし
しばらくして少し病状が良くなったので、私たちは退院することができました。しかし退院後、私は睡眠薬と強い酒を同時に服用するようになり、再び薬物依存に陥りました。妻も非常に不安定な症状が続き、毎日のようにいさかいが絶えないという状況で、私たちには何の望みもないように思えました。
ところが、そんなある時、友人が教会に誘ってくれたのです。「教会で精神病がいやされた人がいて、その方が牧師夫人として神さまに用いられている」ということを教えてくれました。私たちは、その話を聞いて希望を見いだしたのです。早速、私たちは教会に通うことにしました。
教会では、「私たちの罪の身代わりとして、イエスさまが十字架に架かってくださったので、私たちが自分の罪を悔い改めるなら、罪が完全に赦される」また、「約2千年前に地上で、病気のいやしや悪霊追い出しをされたイエスさまは、十字架で死なれて、3日目によみがえり、今も生きて働いておられ、そのイエスさまに求めるなら、病気もいやされる」ということが語られていました。
そして何度目かの礼拝の中で、私たちは、これまでの罪を悔い改め、夫婦で同時にイエスさまを受け入れるお祈りをし、救いを受けました。その後、教会でとりなしの祈りを受けながら、私の病はいやされていきました。睡眠薬だけではなく、お酒やたばこも全然欲しくなくなり、無理することなくやめることができたのです。しかし妻の方は、しばらく不安定な症状が続いていました。
教会にキリストが満ちている
私たち夫婦が教会に通い始めたころは、ささいなことで夫婦げんかをしてしまい、土曜日に夜通し口論した揚げ句、日曜日の朝には疲れきって礼拝に行けない、ということもありました。神さまのみこころを行おうとするとサタンが攻撃してくると、教会で教えられ、どんな状態であったとしても、とにかく礼拝には来るようにと牧師に勧められました。
なぜなら聖書に、「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです」(エペソ人への手紙1章23節)と書いてあるように、教会にイエスさまご自身が満ちているので、ただ教会にいるだけで恵みを受け、神さまの臨在に触れることができ、神さまの力を体験できるからだと教えていただきました。
助けてください
そして、ある日のカリスマ聖会で、私は初めて、会衆賛美でギターを弾く奉仕が与えられたのですが、その日、妻は特に症状が悪く、取り付く島もないという感じでした。そして、その時、事件が起こったのです。
ギターの奉仕が終わった私に向かって、妻が大声で叫びながら殴りかかってきました。慌てて牧師たちとともに取り押さえて、会場の外に妻を連れ出しました。そのとき「神さまはなぜ、こんなことを許されるのだろう?」という思いとともに、心から主に向かって「助けてください!」と祈りました。しばらくして、妻が少し落ち着いたので、聖会の会場に再び戻ることができ、聖会の後、妻は講師の方に祈っていただきました。
すると、妻に預言が語られたのです。「あなたの病は霊的なものですから、霊的な対応をなしていくとき、いやされます。わたしはあなたに、すでに預言の賜物を与えています。教会に通い続け、賜物を用い続けていくとき、わたしはあなたを完全にいやそう」という内容でした。
この時、現実を見るなら、本当にいやされるのだろうか? としか思えない状況だったのですが、私たちは語られたことばを吟味し、神さまからのものと受け止め、そして神さまに従うことを選びました。妻は礼拝をはじめ教会の集会に出席し続け、教会の助けと管理を受けながら、日々、預言を語り続けていきました。
不安や恐れは消え、妻の病はいやされた
すると、1カ月ほどで、はっきりと状況が変わっていったのです。妻の内側にあった不安や恐れ、また、幼いころから虐待を受けていたために抱き続けてきた、両親に対する憎しみがいつの間にか無くなっていました。また、はっきりと病的な症状も出なくなりました。こうして、医者に絶対治らないと言われた妻の病は、神さまのことばに従うことによっていやされたのです。
育児能力がないと言われた妻が、現在6児の母として、家事を難なくこなしている姿を見るとき、神さまのことばの真実さと恵み深さの故に、神さまをほめたたえずにはいられません。
数年後、私たちの主治医と電話で話す機会が与えられた時、「あなたたちは私の希望です。この病気で、薬も飲まずに、社会でうまくやっている人はあなたたちだけです」と言われました。もちろん、真の希望はイエスさまにあります。教会では私たちのほかにも、お医者さんに治らないと言われた病気の方が次々といやされています。
私たち夫婦は、いやしを与えてくださったイエスさまに、心から仕えたいと願い、神学校で学びを受けるようになりました。そして数年後、私は牧師として、妻は牧会伝道師として立たされ、教会の奉仕を喜んでなしています。
かつて、精神科の病院の保護室の鉄格子の中で、絶望のどん底に置かれていた私たちは、イエスさまの救いといやしを受けて、まったく新しく変えられました。すべての栄光がイエスさまにありますように。
ダビデ前田(TLCCC東京アンテオケ教会牧師)
−(「私はいやされた!―神によるいやしの体験談 Vol.2」(雲の間にある虹出版発行)より転載)−
教会では病のためにお祈りいたします。教会にお越しください。