10年の苦しみからの解放 たばこがやめられた!
軽い気持ちが
私は、大学時代に友人からすすめられて軽い気持ちで手にしたたばこが、結婚生活のストレスから常習となってしまいました。 夫や私の両親からもやめるように言われましたが、たばこが唯一の楽しみだったので、体に悪いと分かっていてもなかなかやめることができませんでした。このままではいけないと思い、一大決心をして高価な禁煙用のガムを買いましたが、結果はあっけないものでした。またすぐにたばこに手が伸びてしまったのです。本当につらい毎日でした。
自分で戦うことやめ 感謝・祈り・献金
私は2児の母なのですが、自分を責める日々の中で、薬がないと眠れなくなってしまいました。しかし、そのような時にイエス様と出会って救われたのです。
自分の努力の限界を知った私は、すべてを牧師に打ち明け、祈っていただきました。牧師は何事もないかのように、「自分でがんばるのをやめて、感謝し主にゆだねなさい」と言われました。
私は、自分で戦うことをやめて、毎日真剣に主に祈りました。「神さま、たばこがやめられないことを感謝します。どうか1日も早くタバコがやめられますように」と。そして、毎週必ず教会に通い、吸ったつもりでたばこ代を献金していました。
いつの間にか…
するとどうでしょう。いつの間にかタバコを吸わなくなった自分に気付きました。以前のようにストレスを感じても、全く吸いたいと思わないのです。
「赦せない心」のいやし
また私は、結婚当初から続く夫やその家族とのトラブルにより、怒りや恨みのような感情が心に重くのしかかっていました。しかし聖書には、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マルコの福音書12章31節)とあります。私の中で、夫を愛することができない罪悪感がどんどん大きくなっていきました。 そこで、このことも主に祈り続けました。けれど、心には「あんなひどいことをした夫を絶対に赦せるはずがない!」という気持ちがあり、半ば嫌々ながら祈っていました。
教会につながり 祈り続けた結果
この2つの問題に関して私がしていたことは、いつも教会につながり、祈り続けるということだけでした。主に聞き従っていく中で、そのことがいかに重要であるかということが、この問題を通して分かりました。今、姉と礼拝の賛美リーダーの奉仕をさせていただく恵みにもあずかっています。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神様に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」 (ピリピ人への手紙4章6~7節)主をほめたたえます。
(福岡県飯塚市 吉野晶子)
−み声新聞第290 号より抜粋−
教会では病のためにお祈りいたします。教会にお越しください。