え!「眼鏡使用」条件がなくなる。ほとんど見えなかった目がいやされた。

● 教会を離れていた父

三沢の私の父は、「教会に来るとなんか体の調子がいい」と言ってしばらく教会に通っていました。しかし、私と娘がアメリカに遣わされてからは、教会から遠のいてしまい、仕事やお付き合いのため聖会にもしばらく参加していませんでした。  今年1月にアメリカにチームが遣わされ、デンバーで奉仕をしてくださった東北のFさんご夫妻が3月の三沢聖会に父を熱心に誘ってくださり、私もお願いしてみました。すると、その時はすんなりOKをしてくれたのです。実はそのとき父には神さまにお願いせざるを得ない事が起こっていたのでした。

 

● 網膜症で視力が落ち免許更新できない

   父は昨年、長年わずらっている糖尿病のせいで、網膜症になり手術を受けました。眼底出血がひどく、ほとんど目が見えなくなっていました。手術後、いくらか見えるようになりましたが、それでも前に比べると視力もかなり落ちてしまっていました。  三沢聖会は父の誕生日に近い日でした。実は今回の父の誕生日は、ただの誕生日ではなく、運転免許の更新という難関が待っていたのです。  どんなに目を凝らしても、何度やっても、メガネをかけて両目で0・7に達することが到底無理な状態で、父は車の運転をあきらめなければならない状況に追い込まれていました。

 

● いやしを求めて教会に


 切羽詰った父は、「目のいやしのために、聖会に行ってみる」と言い、聖会参加を決めました。私も電話で父に、「聖書には、盲人がいやされ見えるようになった記述がたくさんあるから、イエスさまに期待して行ってみて」と言って励ましました。  聖会に参加した父は、そこで奉仕をしてくださった牧師さんに目の状態を話し、免許が必要であることを話し、手を置いていやしの祈りをしていただいたそうです。

● とりなしの祈り


  聖会と同じ時間に、私と娘はアメリカから父のためにとりなしの祈りをしていました。  特に娘は「おじいちゃんが車を運転できなくなるとかわいそう」と必死に祈りました。そして神さまのみことばを求めていましたら、神さまは私にも娘にも、それぞれに聖書から、「それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった」(ルカの福音書24章31節)とか、「目の見えない者が見えるようになり」(ヨハネの福音書9章39節)など、目に関するみことばを次々と与えてくださいました。これらの聖句から「父の目が必ずいやされる」という確信が与えられていました。

● 視力が回復 免許更新で「眼鏡使用」条件が無くなる


 聖会で祈っていただいた父は、その後から霧が晴れるように目が見えるようになっていったそうです。そして、更新の手続きに警察署で視力検査をしたところ、ちょっと前までメガネをかけても見えなかった父の視力が、短期間で見事に回復し、なんと裸眼で視力検査をクリアしただけでなく、「眼鏡使用」の条件が消されるまでに視力が良くなっていました。ハレルヤ!父は免許を更新することができて本当に喜んでいます。  神さまのいやしを体験した父と私たちは、「今度は糖尿病のいやしを求めていこう」と話し、主に期待しています。6月には、娘が夏休みでおじいちゃんのところへ行くので「毎週、おじいちゃんと教会に行けるね!」と楽しみにしています。また、父と娘は、電話でドライブに行く予定を立てていました。  神さまのみことばの確かさと、素晴らしいいやしのみ業に感謝し、主を心からほめたたえます。

 

(アメリカ・デンバー在住 上舘千恵子)

 

み声新聞第306号より抜粋−

 

教会では病のためにお祈りいたします。教会にお越しください。