交通事故の中での守りと祝福

イスラエル榊全子(神奈川県横浜市)

 

―大雪の中、高速道路で車がスピン! 大惨事を免れ完全に守られました。しかし、エンジンはかからず、電話も通じない。なぜ、どうして、こんな事が! 感謝できないけれども感謝の祈りをしていったとき……。あわや大惨事

 

「きゃあー助けて!」

 

それは、24年ぶりの大雪となった2004年12月31日の出来事でした。夫と私は80歳になる一人暮らしの母とお正月を一緒に過ごすために実家に向かって車を走らせていました。
東北道の浦和の料金所を過ぎたころから、雪がはげしく降ってきました。急にハンドルをとられ、スピンしました。「きゃあー助けて!」と叫んでも車はどうに も止まりません。高速道路の壁に車の左前部が衝突、さらに半回転して左後部が衝突してやっと止まりました。「大丈夫? ケガは、本当にどこもなんともな い?」夫は黙ったままうなずきました。ああ、神様は私たちの命を助けてくださり、けがひとつなく完全に守ってくださったのです。ふと横を見ると大型のコン テナ車が通り過ぎて行きました。車が止まるのが、あと数秒遅かったら私たちは即死で大惨事になっていました。

 

エンジンを何度もかけてみましたがかかりません。携帯電話で保険会社にかけても全然通じません。ロードサービスにもつながりません。なすすべが何もありませんでした。
雪がしんしんと降り続いている中、神様どうして、なぜ、こんな事が許されたんですか。混乱と怒りのような気持ちが沸々と湧いてきてしまいました。

 

一つひとつを感謝する

 

感謝できないけれども感謝の祈りを始めました。「神様、私たちの命を助けてくださり、守ってくださり、けがも何ひとつなかったことを感謝します。車 との衝突や玉突き衝突で死者やけが人もなく大惨事にならなかった事を心から感謝します。保険会社に連絡できないことを感謝します。エンジンが全くかから ず、車が動かないことを感謝します。このことのゆえに、あなたの素晴らしい計画があることを感謝します。今、私の目には何も見えませんが、すべてを益とし てくださいますから、あなたをほめたたえます」
一つひとつ感謝していく中で、私の心の内側から喜びが湧き上がり「大丈夫。神様が共にいてくださり、必ず守ってくださり、すべてが益となる」と感謝でいっぱいになりました。
その時、「もう1度エンジンをかけなさい」と神様から語られ、もう1度エンジンをかけてみてと言いました。……エンジンがかかったのです。ゆっくり、ゆっくり走りながら実家にたどり着きました。

 

「これは奇跡ですよ」

 

母は神様が守ってくださった、本当に神様は生きておられると涙ながらに喜んでくれました。母の信仰がこの事故を通してさらに強められました。
翌1月1日保険会社に連絡ができ、レッカー車で車を横浜の自宅まで運んでもらいました。運転手の方が「こんなに車がひどい状態なのに、本当に何のけがもな かったのですか。これは奇跡ですよ」と言われたので、私は「私たちはクリスチャンです。神様が守ってくださったのです」と証しすることができました。そし て、雲虹とみ声新聞を渡しました。いつかこの方が神様を信じ、恵みの人生を歩むことができますようにと祈りを込めて。


主はすべてを益としてくださる


10年間乗っていた車でしたので、買い替えの時期にきていました。しかし車の査定価格はゼロですし、逆に引き取り料がかかってしまうので、どうしたものか と考えていたところでしたが、今回の事故で車両保険が支払われ、車の販売員の方が安く値引きしてくださり、新車を購入することができました。

新車が我が家に届けられたとき、車のナンバープレートには828(ローマ書8:28)の番号がつけられていました。神様はすべてを益としてくださるお方です。

 

そしてなによりも嬉しいことは、この事故以来、車に乗るたびに「祈って」と言ってくれるようになった夫の救いがさらに一歩近づいたこと、母の信仰が 強められたこと、多くの方にこの事故を通して神様がいかに素晴らしいお方か、恵み深く、感謝していくとき神様のみわざが成就していく証しができたことをこ ころから感謝しています。

 

 

(月刊「雲の間にある虹」2005年5月号より転載)