見える所によらず信仰によって

ダンケン里子 

 

―海外で病気の娘と二人っきりで生きていかなければならない。

 

これって絶望ってことじゃない? 

不安や否定的な思いの押し寄せる中、神様に祈り、感謝をささげました。今、娘は驚くべき早さでいやされていっています。

神がすべてのことを働かせて益としてくださる

今 2000年の4月にアメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ郡に引越しをして以来、ずっとひとつの御言葉が私を支え続けています。それは、皆さんもご存知 の通り大変知られている聖書の箇所です。ローマ人への手紙8章28節「神を愛する人々すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべての ことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

 

最初はほんとかな~という疑心から、体験に変わり、経験をすることによって、確信へと変わってきています。御言葉にも「そう思っています」とか、 「~と言われています」や、「そう語り継がれています」ではなく、はっきり「知っています!」と語られていますが、本当にその通りです。

私たちの人生に起こる、また起こった、消してしまいたいような、忘れてしまいたいような最悪な出来事さえも主は益としてくださるのです。

 

娘の病

 

私は、まずアメリカに来て凄く苦い経験をすることになりました。それは離婚でした。ここカリフォルニア州においては、片方がもう一方の同意なしに、 裁判の訴えをなし、離婚を勝ち取ることが出来ます。主人から何度も離婚をしてくれと言われました。私の妊娠がわかったときには診察室で怒鳴られたのを覚え ています。すべてのことに感謝をささげました。離婚はしてしまったものの、私は約束の地で牧師として任命を受けました。私は今家族の初穂として、主が導か れた地で働きをなしています。

そしてその次は娘の病です。まったくの健康体で生まれたものの、2歳を過ぎたころから、発達の遅れが見え始めました。言葉の遅れ、視線を合わせな い、多動、かんしゃくを起こす、など等。あまり活発なのでみている私がついていけず、娘がお昼寝をするときは私も一緒にお昼寝をしていました。小さいとき は男の子のように元気な女の子で済みましたが、保育園での他のお子さんとの違いを比べてみたら、それは明らかでした。すぐに自閉症と言う診断がなされまし た。それだけではなくADHD(注意欠陥・多動性障害)という障害もあるだろうということでした。お医者さん、また養護施設の方々から「自閉症とは改善が できても、完治はしません。一生ケアを受けてください。」と言われました。

 

見える所は絶望的なことを感謝します

 

そんなある日私はとっても疲れて仕事場に向かって車を走らせていました。その日は娘を特殊学級に移す手続き、娘を預けているシッターさんと今後の話 し合いをなし、養護施設で行われているプログラムに参加するための予約、などで頭の中はパンパン状態でした。やっと落ち着いた時間は車の中だけ。でもその 中で頭の切り替えをなしていかなければなりませんでした。娘のことで気が取られすぎていて仕事場でミスすることが続いていたからです。「切り替え、切り替 え。えしゅるん(娘)の事はいったん忘れて」と頭をぶるぶるふっていたら、なぜだか涙がぼろぼろ流れ出てきました。そして否定的な思いが、不安が私を襲っ てきました。大げさですが、海外で二人っきりで生きていかなければならない、それに娘は訳のわからない病におかされている。これって絶望ってことじゃな い、と。

 

これではいけないと思い、祈り、感謝をささげました。「神様、娘が治らない病におかされていることを感謝します。海外の誰も知らない地でこのことが 許されたことを感謝します。目に見えるところにおいては絶望的なことを感謝します。今私は弱り切ってしまっています。慰めを送ってください。天のしるしを 見せてください」と。

 

仕事場には早く着きました。早番の人は他にもいるはずなのに、金曜日の渋滞のせいなのか、誰も来ません。お店を開ける準備を一人でし始めました。一 人っきりなので、引き続き祈っていました。「里子、ごめん」とやっと一人だけ、息を切らせながら仕事場に現れました。続けて彼女は「ねえ、外に大きな虹が 出ているよ! 見に行ってみなよ」と。外にあわてて出てみると空を一面に覆う大きな虹がふたつ。そして主は語ってくださいました。「雲の中の証人は真実で ある。」と。

主が備えられた最善のケア

今娘は驚くべき早さで癒されていっています。預言でも言われましたが、まさに自閉の部屋から跳び出していく勢いです。離婚後アメリカにとどまるのが 導きだと確認しましたが、それが本当に幸いでした。アメリカでは障害児に対する偏見が余りありません。それに受けられるケアがほとんど無料ですし、最先端 をいっています。

 

また、それまで住んでいた郊外の地からサンディエゴ市に引越しするように示されました。思いの内にデルマーまたカーメルマウンテンと言う土地名が与 えられました。どちらともサンディエゴ市では高級住宅街と考えられていました。どうなっても知らない。主よ、あなたが言われるので引っ越します。でも生活 していけなかったら、主が責任をとって下さいと半ばやけっぱちで従いましたが、これがまた主の最善の備えでした。

結局カーメルマウンテンに住むことにしましたが、この地は自閉症児に対する特殊学級に対する予算が郡より最大に与えられている学校区で、娘は最善の ケアをすべて無料で受けています。また、その時々に出会う先生方は娘を理解してくださる方々で、歌が好きな彼女の長所を発見してくださった保育園での先生 は、特別に娘のカリキュラムにミュージックセラピーをも付け加えてくださいました。最近幼稚園に通い始めて、他の生徒のご両親から「ミュージックセラピー をうちの子にも是非試してみたいのですが、どうやって手続きをとりましたか?」と質問を受けました。また大学で行動療法士をめざして勉強していた同僚から は「里子はラッキーだよね。どうして診断をされる前から、自閉症児にぴったりのところに住んでいたの?」と。運ではなかったのです。主のみ手でした。

 

交通事故も益とされる

 

また、昨年の4月に交通事故にあいました。免停中の無保険者の方が運転する車が、小雨の後滑りやすくなった高速道路の入り口でスリップし、体当たりされてしまいました。すぐさま救急車で親子二人救急病院に運ばれました。

一見最悪に見えたこの事故も更なる祝福の始まりでした。自閉症児の症状として、他人の気持ちを汲み取ることが出来ないという特徴があります。たとえ て言いますと、道端で娘が転んだとします、自分が転んだときは助けや介護を求めますが、もし私が転んで「えしゅるんちゃん、助けて~」と苦しみもだえてい ても、しらんぷりんです。彼女には全然関係の無いことなのです。事故の時私は全身を強打しました。特に腰痛に悩まされました。そんな私の姿を見て娘は言い 始めたのです。「ママ、大丈夫?」と。小さい手で腰をさすってもくれました。

また同時期に薬物療法も始めました。色々な行動療法を試してみたのですが、多動が治まらず、後1~2分落ち着いて座っていることが出来ればもっと学 習能力が伸びる、学ぶ能力はあるのにもったいないと学校の先生方の勧めがあり、お薬を使うことにしました。5歳児と言う若年に合ったお薬を探し出すには苦 労がありました。事故にあって、ドクターストップがかかり働けなかったので、十分時間をかけて、調節していくことが出来ましたし、生活費は自動車保険会社 が後でまかなってくれるとの事だったので、安心して休むことも出来ました。また教会の方々からあたたかい献金もあり、主はすべてをまかなってくださいまし た。

ママ、アイ・アム・ソー・ハッピー!

すべてが順調にいっているかのような私たちに逆境が訪れました。それは私の体が回復し職場復帰した後でした。娘が今までに無かったような酷いかん しゃくを起こしました。学校の先生方から、預け先から、セラピストさんたちから、「お母さん、考えられる原因はありますか?」と質問攻めに会いました。仕 事をやめ、生活保護を受けてでもいいから家にいるようにしようかとも思いました。そのころは夜仕事が終わって迎えに行くと、起きてしまい、アパートの駐車 場で泣き喚いたり、近所から苦情が来たりと大変でした。感謝をささげても娘の状況はよくならず、正直に言いますと落ち込んでしまっていました。

そんな折、やっとお休みがとれ、娘と海水浴に行きました。海を見るなり娘は大喜びで走って行きました。そして満面の笑みを浮かべふりかえり、 「Mama, I am so happy!」と言ってくれました。私はびっくりしました。なぜなら、これも自閉症児にある特徴のひとつで、言葉と感情がつながらないか らです。娘は生まれてこの方5年間、自分の感情を言葉に出していうことが出来なかったからです。これまで、娘が何を内側で思っているのかは知るすべもな く、しぐさや表情を見て、想像するしかありませんでした。嬉しかった。私は主をほめたたえました。周りの人たちからどう思われてもかまいませんでした。ま ず私が「ハレルヤ!」と叫び、娘もつられて「ハレルヤ!」と叫んで、主をほめたたえ、「そうね、えしゅるんちゃんもママもHappyね」何度も繰り返しま した。そしてその時はっと気づきました。「そうだ! だから信仰によってなんだ。見えるところによらず信仰なんだ!」と。いくら癒すと約束があっても、娘 の状況をそのまま見ては絶望してしまいます。それはペテロが水の上を歩いたときに、イエス様を見続けているときは大丈夫でしたが、水を見た瞬間沈んでし まったように。

 

信仰の目を用いて

 

それ以来、状況に寄らずに信仰の目を用いて、告白しています。神様、今の見える状況によらず、娘が癒されたことを感謝しますと。そうすると更に、更 に娘の状況が変わっていきます。娘に人生で初めての親友が出来ました。それも一人だけでなく、二人も。幼稚園の先生によると、その子達が困っていると飛ん でいって助けてあげているんですよと。信じられないことです。

昨年私たちの教会には「賛美の柱」という名が与えられました。私は娘を通して、そして主が選んで下さって導かれた土地で賛美の力強さ、素晴らしさを見ていっています。
リバイバルの時はさらに病だったゆえに導かれている主の働きが楽しみです。

ハレルヤ!

 

(月刊「雲の間にある虹」2007年3月号より転載)