感謝のすばらしさ 
ロッキー山脈からPraise the Lord!(プレイズ ザ ロード!)

※ 「ロッキー山脈からPraise the Lord!」は、月刊「雲の間にある虹」(雲の間にある虹出版)の人気連載です。 当コンテンツでは、上舘牧師の感謝の証しが含まれている記事をそのまま転載しております。

 

8月、日本車の新車が与えられた。新車に乗りたいなど夢にも思わなかった。それまでは、壊れそうで壊れないような微妙な車を何とか乗りこなすことに慣れていて、とにかく車は走ればいいと思っていた。それが新車。神さまの導きはスケールを超えているとつくづく思う。
Praise the Lord!

 

 デンバーに来てから数々の車の難に遭った。
あるとき、車のガラスが割られ、バールのような物でCDプレーヤーがえぐり取られ、配線なども見事に引きちぎられていた。その事件の前に車の名義変更のこ とでトラブルがあり、祈りの中で、主から「感謝が足りない」と語られ、徹底して感謝しようと心に決めた矢先の出来事だった。
  ガ~~~~ンとショックだったが、気持ちを切り替え、人の見えないところに行ってジャンプして感謝した。見るも無残な状況の1つ1つを感謝した。


  その次の日、デンバーは記録的な大雪に見舞われた。警察に届け出るために車を走らせたが、道路は大雪のため大混乱。通常15分の道のりが、1時間もかかってしまい大変な状況だった。
でも、その時間を感謝することに決め、昨日の出来事から、今日の大雪のこと、容赦なく雪が車に入ってきてまるで雪中行軍のような状況であることまで、大きな声で拍手しながら感謝した。
  すると、状況は大変なのに、状況とは逆に私は今まで経験したこともない神さまとの深い交わりに、喜びに満たされていった。
  その数カ月後には、電気系統がいかれ始めた。CDプレーヤーのあった所にティッシュの箱を入れないと電気がつかなくなった。オートロックが壊れ、車内を照らすライトが壊れた。ヘッドライトを消すとなぜか鳴り出すアラーム音。さらには時々白い煙まで出るようになった。
  でも感謝の対応を学んでいたので、1つ1つ感謝していた。そして、とうとう今年6月に車は使命をまっとうし修理屋さんに引き取られていった。


  そしたら来たのだ! 献金が! 「コロラド州の宣教の働きのために日本車の新車をささげます」と。神さまはこのような素晴らしい計画をお持ちだったので、いろいろな困難を許されたのだと思った。主の逆転勝利! Praise the Lord!

 1994年、マーリン・キャロザース師の本と劇的な出会いをした。「感謝」「感謝」と何にでも感謝していたら、私の人生バラ色に思えるようになった。本当にうれしくて、「感謝」を連発していた。
  ところが……。当時勤めていた三沢基地のある女性のクリスチャン団体のリーダー的な方が、私が何にでも感謝していると聞いて、眉間にしわを寄せて言ってきたのだ。「チエコ、それは間違いよ。サタンがすることを感謝するのは間違っている」と。
  聖書のことばに立てば何ていうことないのに、ベイビークリスチャンだった私は、「クリスチャン団体のリーダーが言っているのだから、彼女が正しい」と思っ てしまったのだ。それから、私は感謝をやめ、許されるあらゆる悪いことについて「サタンめ~~~。何で私を狙うの~~~。う~~~、サタン~~~」と苦し むようになった。そして、そこから私の生活に喜びが全然なくなっていった。クリスチャンでありながら、真っ暗闇を歩んでいる感じだった。そして、それはし ばらく続いた。
  1997年、短大時代のルームメートの病気を知り、いやしのために彼女の住む弘前の近くで教会を探してあげようと思った。そこで、この群れの弘前のS牧師と出会った。また、同じころに、知り合いから月刊誌『雲の間にある虹』が送られてくるようになった。


そして分かった。「感謝していいんだ~」と。

 いろいろ回り道をして感謝の対応にたどり着いたわけだが、その回り道した体験もまた感謝だ。それがあるから、感謝の対応をむなしいこととは決して思わない。
  父が「お前はめでたいヤツだ」と困難に懲りず感謝する様子を見て私に言う。でも、本当に感謝する人は幸せな人だと心から思う。幸せの鍵がここにあると思う。

 

 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケ人への手紙 第一 5章16~18節)

 


(月刊「雲の間にある虹」2007年10月号に掲載分より転載)