感謝と賛美の祝福|匹田千久美

 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。       テサロニケ人への手紙 第一5章16節~18節


 神様が私たちに望んでおられることは、私たちがいつも喜び、いつも祈り、すべてのことを感謝することです。私たちには誰一人例外なく様々な問題や試練や困難が許されますが、問題や試練が私たちを苦しめ、不幸にするのではないのです。その時、何を選び、どのように対応するかで結果は変わってきます。聖書には「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8章28節)とあります。イエス・キリストを信じている私たちクリスチャンは、神様の支配の下にあり、良いことも悪いこともすべては神様が許しておられます。そしてそれらすべてのことを神様は益にしてくださると私たちに約束してくださっています。だから、たとえ、つらく苦しい問題が起こっても、、問題の後ろには神様のすばらしい祝福の計画が用意されているので、この言葉を信じて信仰の対応をとり、心から喜び、感謝し、祈って、従っていくなら多くの問題の解決を見るのです。問題の解決だけではなく、神様が用意してくださっている祝福の計画が現されるのを見ることができるのです。信仰の対応の一つである感謝と賛美は、私たちを癒し、解放し、人生が変えられていく祝福と勝利が与えられる強力な武器のひとつなのです。

赦せない思い…憎しみからの解放


 私は長い間、父親のことが赦せずにいました。今は父と主人と娘の4人で生活していますが、結婚する前は、母が召天した後、父と二人で生活していた時がありました。私にとって父との生活は非常に厳しいものでした。なぜなら父に対してどうしても赦せない思いがあったからです。母に対する裏切りや態度の悪さ、家族への裏切り等、子供の頃からのいろいろな出来事があって、父に対する怒りと憎しみが一気に湧き上がってきました。赦さなければならないことも、愛さなければならないことも分かっていましたが、何度も何度も赦すことができるようにと祈っても、私の心の底にある憎しみはなくなることなく、ブレーキがかかってしまい、前へ進むことができませんでした。そして、クリスチャンでありながら父を赦せない自分自身のことも赦せなかったのです。毎日、ため息とつぶやきで憂鬱な重い気分で生活していたのです。  ある日曜日の礼拝後、牧師に祈っていただきました。父のことを赦すことができるようにではなく、感謝することができるようにと祈っていただきました。その後、帰宅する車の中で、激しく神様が臨んでこられ、神様の愛に触れられ、父の事を感謝することができたのです。そして神様が語ってこられました。「あなたは、なぜ父親をさばくのか? わたしはあなたのすべての罪を赦してきた。だからあなたも父親を赦しなさい。」と。私は号泣し、「イエス様、ごめんなさい! お父ちゃん、ごめん!」と、深い悔い改めが心の底から導かれ、私の心はとても軽くなりました。そして、感謝と喜びに満たされ、今まで憎んでいたことが嘘のようになくなり、この日、父に対する憎しみから解放されたのです。  長い間どれだけ祈っても解放されなかったのは、感謝ができず感謝していなかったからです。つぶやき、怒って、求めて祈っても、神様は祈りに答えてはくれなかったのです。自分ではどうすることもできなかったのですが、教会の助けと祈りによって感謝することができ、感謝することによって解放が与えられました。  問題がある時に私たちが最初にしなければならないことは、人を責めるのではなく、自分を責めるのではなく、問題を考えるのではなく、つぶやくのではなく、感謝するのです! 感謝には私たちを癒し解放する力があるからです。


主人からの迫害


 今年2月に長崎殉教記念聖会に行きました。ツアーに参加し、山本村で祈っている時に「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」ヤコブの手紙1章2節の言葉が与えられ、神様から「どんな事が起こっても、どんな時でも喜んでいなさい」と語られました。私はその場で祈りました「神様、何が起こっても、どんな状況の中でも、主を喜び感謝することができるようにしてください! 喜びおどることができるように力を与えてください」と。  長崎から帰ってきた翌日は日曜日でした。教会が終わって帰宅したら、主人が険しい顔をして激しく怒り出しました。「いったいお前は何を考えているのか。いい加減にしろ! 教会ばかりで帰りは遅いし、家を空けることが多いし、教会のことしか考えていないのか! ちょっとおかしいんじゃないのか!」と罵倒してきました。結婚して10年になりますがこんなに強い口調で怒鳴ったのは初めてでした。普段は無口でおとなしく、文句ひとつ言わない主人なので私も娘もビックリするほどの怒りようでした。主人はクリスチャンですが、日曜礼拝だけ出ているサンデー・クリスチャンで、まだ献身はしていませんが、私が教会で奉仕することも、牧師になる時も理解してくれていたのです。それなのに教会のことで文句を言われた私はカッとなって口答えをし口論になってしまいました。主人からは「日曜日は夜までいないで早く帰って来い! 子供がかわいそうだから犠牲にするな!」などこれでもかというほど責めてきました。

 

娘が泣き出した時、ハッと長崎で語られた言葉を思い出し、私は冷静を取戻して口を閉ざしました。そしてまず心の中で感謝を始め、感情はまだ収まっていなかったのですが、信仰で感謝をしました。すると主人も自然に口を閉ざしたのです。その後、私は平安が来るまで徹底して感謝しました。はじめの感謝は、ひどいことを言われた悔し涙を流しながらの感謝でしたが、手をあげて踊りながら感謝していくうちに平安が与えられ喜びと感謝が満ちてきたのです。

 

そしてしばらくの間、神様との深い交わりの中、言葉が与えられました。「完了した。」「見よ。すべてを新しくする。」「こわがらなくてもよい。これからあなたは人間をとるようになるのです。」と、思ってもみなかった突然の言葉でした。私はずっと仕事をしていましたが仕事をするのに限界を感じ、神様の時に辞めることができるように、言葉が与えられるようにと祈っていたのです。でも、なかなかその時が来なかったので、ただ祈って待っていました。主人は私が仕事を辞めたら教会の仕事がもっと忙しくなるのではという不安もあって反対していました。しかし神様は、主人が私の献身に迫害している最もひどい状態の時に、仕事を辞めることの確認を与えてくださり、次の段階の歩み、次の段階の献身へと導いてくださいました。翌日、主人に仕事を辞めることを伝えると了解してくれました。そして翌月の3月末で退職した後、「感謝と賛美とリバイバルキャンプ」に参加することができたのです。


「感謝と賛美とリバイバルキャンプ」を合言葉にして

   

感謝と賛美とリバイバルキャンプのための献金が与えられました。しかし、家を空けることを怒っていた主人に、2月は長崎、3月は白馬スネルゴイキャンプに参加した後、今度はアメリカへ行くことを反対されるかも?と、少し恐れがありました。感謝し祈り主人に確認したら、「一人で行くの? 行くのならシオン(娘)も一緒に連れて行ってあげな!」との返事で驚きました。でも、シオンの分のお金は厳しいから……と言うと、今月の生活費をすべて使ってでもいいから連れて行くようにと言われ、今回娘と二人で参加することができました。

 今年から「感謝と賛美とリバイバルキャンプ」と名前が変わり、私も娘も期待して参加しました。特に迫害していた主人の勧めで娘も行くことができるようになったこと、快く送り出してくれたこと、そして主人からの迫害が許されたことのすべてを感謝し、さらに私たちに感謝と賛美の霊が注がれるようにと求めていきました。そして、徹底して感謝していこうね! と娘と約束し祈りました。キャンプ中に娘がぐずったり、つぶやいたり、ダダをこねたりすると、「これは何のキャンプだった?」と私が言うと、「感謝と賛美とリバイバルキャンプやった! 感謝します~」と、すぐに切り替えていました。ホテルの部屋でも、感謝ができないことが許されるとすぐに「何のキャンプ?」「感謝と賛美とリバイバルキャンプ!」と、お互いに声をかけていたことが、ものすごく守りとなりました。

 私の姪っ子も同じ部屋で、私と娘の合言葉をずっと聞いていました。帰国後、姪っ子が証しの中で言っていました。部屋で私と娘の合言葉を聞いていて、それはまるで自分に言われているようだったと。姪っ子はアメリカに着いてすぐに、「何で来たんだろう~帰りたい~」と思って、感謝ができなかったそうです。でも、私が娘に「何のキャンプだった?」と言うたびに、「そうだ。感謝と賛美とリバイバルキャンプなんだ」と感謝することができたそうです。今回のキャンプで私も娘も姪っ子も感謝と賛美の実践を受けることができたのです。我が家では今でも続けています「感謝と賛美とリバイバル」の合言葉を。そして感謝すること、賛美することを毎日選んで生活することの実践を意識して強めています。それはリバイバルと終わりの時代の備えだからです。


主人にも感謝が…


 

感謝と賛美とリバイバルキャンプ後、主人の会社の社長が家に来ました。社長は私の姉のご主人(義兄)です。義兄はイエス様を信じていますが、まだ教会には来ていません。私の家の台所には、ずっと昔から「常に喜べ。絶えず祈れ。凡てのこと感謝せよ」という文語訳の御言葉がかけてあります。義兄は家に来るといつもその御言葉を口にしていました。

 

この日、義兄は、みんなに起立するように命じ、姉家族と私たち家族全員が立ち上がりました。そして「俺の後に続いて言って!」と、御言葉の前で指を指して読み始めたのです。 

 

「常に喜べ!」「常に喜べ!」「絶えず祈れ!」「絶えず祈れ!」「すべてのこと感謝せよ!」「すべてのこと感謝せよ!」とみんなで告白しました。「もう一度!」と、2回繰り返した後、全員で拍手をささげ神様をほめたたえました。

 

そして義兄は「これからはみんなでこの言葉を実践していこう! 感謝していこう!」と言いました。まだ教会にも行っていない兄の口から出たこの言葉に私は驚きました。そして私の主人も変わっていました。今まで見たこともないような笑顔で満ち溢れていて、大きな声で御言葉を読んでいました。

 

感謝と賛美とリバイバルキャンプの祝福は、義兄や主人にも注がれていました。


感謝と賛美を武器として

 

すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。          コリント人への手紙 第二 4章15節 良いことも、悪いことも、


すべては私たちのためなのです。主人から迫害を受けた時、私が自分の言い分を通し、反論し、感謝していなかったら、仕事を辞めることも、娘と共に感謝と賛美とリバイバルキャンプに行くこともなく、夫婦の関係も悪く、教会へ行くことも制限されていたと思います。しかしこの許された問題は、私のためであり、私たちを祝福し、神様の栄光が現されるためだったのです。

 

私たちがすべてのことを感謝し、喜びおどり、祈り聞き従っていくなら、神様は最善の道を開いてくださいます。ひとつの問題の解決だけではなく、たくさんの祝福を私たちに与えてくださるのです。

 

リバイバル、終わりの時代は近づいています。日本においても、いつ何が起きてもおかしくはないと言われている今、ますます目を覚ましておく必要があります。その時のために、私たちは感謝の訓練を強めて毎日忠実に備えなければなりません。感謝することにも選びがあり、信仰と意志が必要です。日々許されてくる戦いに感謝と賛美を武器に勝利していきましょう。そして、感謝と賛美を通して与えられた神様の恵みと祝福を多くの人々に伝えていきましょう。感謝と賛美の証し人として全世界へ。 

月刊「雲の間にある虹」2011年7月号より転載