連載第61回 欠点を通して
ロッキー山脈からPraise the Lord!

※ 「ロッキー山脈からPraise the Lord!」は、月刊「雲の間にある虹」(雲の間にある虹出版)の人気連載です。 当コンテンツでは、上舘牧師の感謝の証しが含まれている記事をそのまま転載しております。


 10月下旬に、デンバーで大雪が降った。20センチ弱の積雪となり、一気に冬景色に変わった。毎年、10月末ごろにチラッと雪が降るので、初雪を見ると、教会の新年度が近いと思ったりする。それにしても、今回の大雪には驚いた。気温は最高気温が0度という寒さだったが、寒さを気にせず、年度末ということで、この1年を振り返る時をもった。不従順や不信仰を悔い改めたり、従えなかった弱さを感謝したりした。雪が降っていたので、とても静かで、そんな中で主との交わりの時を持つことができたのは本当に恵みだった。
  教会では、「感謝の戦士」というのがある。私もそれを目指して、毎日1時間の感謝をがんばっているのだが、ちゃんとできる時と、そうでない時がある。ちゃんとできる時は、こんな感じの時だ。それは、片手を高く上げてリングに立ったアントニオ猪木のように、「よーし、感謝していくぞ!」と意気込んでいく時だ。眠気にも打ち勝ち、感謝することができる。それとは逆に、感謝の祈りが途中で終わってしまう時は、こんな時が多い。それは、感謝の祈りを後回しにして、別のことをしてしまった時だ。用事を済ませて、いざ感謝を始めるのだが、感謝の祈りの途中で、深い眠りに入ってしまい、気が付くと、朝方になっていたりする。また、そういう時は、こんなことも起こったりする。祈りの姿勢のままで眠っているので、両腕と両足、まさに全身がしびれてしまっているのだ。さらには、ソファにひざまずいて、背もたれに額が当たっているので、圧迫されておでこまでしびれている始末。トホホ……。全身のしびれで、体の自由がきかない状態で、必死に体勢を整え祈ろうとするが、そのまま熟睡し朝を迎えてしまう。そこで教訓。感謝は後回しにしない方がいい。

 さて、年度末が近付いたある礼拝のメッセージを通して、神様からの強い語り掛けを受けた。それは、ある私の欠点というか弱点についての語り掛けだった。ずぼらな性格のゆえに、ちゃんと責任もってできないだらしなさがあり、きちんとしなきゃいけない……と思わされたのだ。それで、そのどうしようもない欠点を徹底して感謝してみることにした。

 最初は、このどうしようもない自分の性分にあきれて果てて渋々感謝している感じなのだが、やめずに感謝し続けていたら、そのことをきちんとすることは神様のみこころなのだから、神様は必ず助けてくださる!という確信が与えられていった。さらには、この欠点のゆえに、こうして神様と深い交わりに導かれたことに、喜びを感じ、このどうしようもない欠点を通して「神様に愛されている」ということを実感することができた。「この欠点よ、ありがとう!」と、欠点をいとおしくさえ感じた。大きな希望につつまれ、力が湧いてきたように感じた。聖書のピリピ人への手紙4章6節~7節に「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」と書いてあるが、この「人のすべての考えにまさる神の平安」を体験したような瞬間だった。Praise the Lord!

新しい年は、ぜひともアントニオ猪木ではないが、「感謝していくぞ~!お~!」と意気込んでいきたいと思う。もっともっと感謝に満ちた、素晴らしい1年となるよう、祈りつつ……ハッピー・ニュー・イヤー!

休み明けの月曜日、Rちゃんが学校に行くと、それまで馬鹿にした態度を取っていた女の子が、クラスワークを手伝ってくれるなど、仲良くなってきたという。信仰による勝利!Praise the Lord!  こうしてRちゃんは、感謝のダンスデビューを果たした。

月刊「雲の間にある虹」2011年12月号より転載