チャールズ・デュークさんの体験談(証し)

チャールズ・デューク

■チャールズ・デューク(アポロ16号宇宙飛行士)

1935年10月3日ノースカロライナ州生まれ。 海軍学校を総代で卒業。
空軍に入り、テスト・パイロットとして認められる。MIT大学院卒。
1966年NASAの宇宙飛行士に選抜され、1972年にアポロ16号宇宙飛行士として、月面で作業を行った。
月面に降りたのは、アポロ11号から17号までのわずか12名(現在、生存しているのは、10名を割る)。
奇跡の帰還を果たし映画にもなった「アポロ13号」の際は、地上でのレスキューミッションで活躍。米空軍准将(退役)。

 

私は驚きにつつまれて月面を歩いた

緊張が私を支配していた。体のすべての部分がサターン(土星)5号の振動に合わせて震えている。 
6年間の厳しいトレーニングと、アポロ16号の想定訓練の後、いよいよ、人類5度目の月への旅---
もう引き返すことはできない。ジョン・ヤング、ケン・マティングリー、そして私--―3人の体がシートに押さえつけられる。カウント・ダウンが進んでいく。------5、4、3、2、1、離陸!

ロケットは地表を離れ、大気圏へ飛び出していく。――こうして私の人生でもっともエキサイティングな11日間の旅が始まった。
ロケットから見る地球は、私がこれまで経験したことのないほどの感動的な眺めである。3万キロの彼方に漂う地球、そこに見える青い大洋、白い雪そして雲、茶色の大地は、ひとつの美しい宝石をなしている。この小さな輝く宝石が、塵のない宇宙に浮かんでいる。私は驚きにつつまれて月面を歩いた。驚嘆に息も止まらんばかりであった。信じがたい静寂、クレーターだらけの異様な地表、さまざまに織りなす灰色の影。それらは、創造されたそのままの姿で、だれにも侵されず、だれにも触れられず、そこにあった。私はこのようにすばらしい体験を持つことのできた数少ないひとりとなったことを誇りに思った。

 

いつも未来が開けていた

私の人生は成功に継ぐ成功であった。高校のときから勉学に励み、好成績を収め、フロリダのセント・ピータースブルグにある海軍学校を総代で卒業、大学ではUS海軍兵学校で自然科学の学位を受けた。
極度に船酔の強かった私は海に出ていく海軍に入ることができず、一転、空軍に入り、志願してパイロットとなり、ここでも認められるようになった。
私は成功の道ばかりを歩いてきたので、空軍に入っても、目標を高いレベルに置いた。ドイツでの3年間の実習の後、私はボストンのマサチューセッツ工科大に行き、航空工学、宇宙工学でマスターの学位をとる。この間に、私はドッティーと結婚した。
私は自分の学歴が最終段階まで来たことを感じ、パイロット、仕官として次に達成すべき目標はさらに飛行訓練を積むことだと考えた。そこで、再び志願して、カリフォルニアのエドワード空軍基地にあるテスト・パイロット・スクールに入学の許可を受けた。

 

上りつめ、そして落ちていく

それから2年たったある朝、私はロサンゼルス・タイムズにはさまれていた新しい宇宙飛行士選抜計画の全ページ広告を目にした。私は自分の人生の階段をまたひとつ上るチャンスを見つけ、喜んだ。私は応募し、1966年、NASAの宇宙飛行士に選ばれた。私たち家族はヒューストンへと移住することになった。
私はこの仕事でもすぐに成功を収めることができた。新聞に名前が出、素敵なパーティーに何度も招かれ、社交界も顔を出すようになった。私の古い自我はますます大きくなっていった。私は、この新しい仕事が好きだったし、それに伴ってやってくるいろいろな特権も私にとって好ましいものであった。

 

私は一生懸命この仕事をした。月への飛行という願いがあったからである。それからの何年間かは、ほとんど仕事と社交に費やす日々であった。
言うまでもなく、私の結婚生活は犠牲になっていた。私はこの時期、結婚生活に多くの時間を割くことができなかったし、またそれほどの関心も示さなかった。言ってみれば、私は婚姻関係と家族(そのとき2人の息子がいたが)をドッティーに預けっぱなしにしてしまったのである。ドッティーはそんな中で傷みと寂しさをおぼえるようになっていった。
月への飛行から帰った後でも、私たち夫婦はうまくいかなかった。ドッティーはいつもふさぎこんで、ほっておくと自殺でもしかねない様子であった。彼女にとって第一であった結婚生活が失敗に終わってしまったという思いが、彼女を苦しめていた。
アポロ16号での月旅行以来、私のうちにも欲求不満と退屈が起こってきた。私は自分の人生における最大の仕事に携わってきた。そして、月へ行くというその目標を達成した。けれど、「いま私はどこへ向かっているのだろうか」、私は自分にそう問いかけた。
私はこれまで歩んで来た道から離れて、ビジネスマンになろうと決心した。私の新しい目標はビジネスマンとして成功を収め、億万長者になることであった。私たち家族はテキサスのブラウンフェルズに移転した。私はそこで時を忘れて新しい仕事に没頭した。
経済的には成功を収めることができた。けれど2年たって、その仕事が本当に自分の願っているものではないことに気づいた。私はその仕事をやめ、別の仕事を求め出した。もちろんそのときにも、私は自分の問題の根本を掘り返したことがない。ということには気づいていなかった。

 

難しい質問

私は月旅行をして天に上りはしたが、神に出会いはしなかった。私は教会に行っていてさえ、神に出会うことがなかった。日曜日だけのクリスチャンで、聖書の言葉も信じていなかった。私はイエスをどう考えていたのだろうか。私は彼が釈迦やモハメットと同じような偉大な教師であると思っていたのである。

 

NASAを去ってから、私はドッティーにある変化が訪れたことに気づき、興味を覚えた。彼女は私に祈りが答えられた話などをするのである。私は、彼女が自分の人生に意義を見いだし、以前なかったような平安に包まれていることがわかってきた。彼女は私をそれまでと違ったやり方で愛し、受け入れてくれていた。

 

仕事を処分してから1ヵ月後、ドッティーは私たちの家のそばの牧場で持たれる2日間の聖書研究セミナーに参加しようと言ってきた。そこでは、創世記から始めて、黙示録まで聖書の話が進められていった。ソファーにゆったり腰をかけて、コーヒーを飲みながら、膝に置いた聖書を読んでいると、突然目からうろこが落ちた。神がチャーリー・デュークを、創造されたときからずっと愛してくださっていることがわかったのである。
そして、神がいつも「私のもとに帰ってきなさい。私があなたの神となり、あなたを祝福しよう」と言ってくださっているにもかかわらず、人がどれほど神から遠ざかり、背を向け続けてきたかということに目が開かれた。
聖書はメシアを示し続けている。そして、イエス・キリストが唯一の救いの道であることを語り続けている。私はヨハネの福音書を読み、この意味を初めて理解することができた。「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた」。これは本当のことなのだろうか。
突然私は自分がこのとき、人生で最も重要な質問に直面しているのだと気づいた。
心の内でイエスさまがこう語られた。「あなたは私をだれだと言いますか」。私に残された選択はただ2つ、イエス・キリストを神のひとり子とするか、単なる偽り者の嘘つきとするか。
車で家に向かいながら、私はドッティーを見つめて言った。「ハニー、私の心の内に迷いはないよ。イエス・キリストは神のひとり子なんだから」。こうしてチャーリー・デュークは生まれ変わったのである。

 

この地上をキリストと共に

永遠のいのちを受けたという感覚はなかった。けれど神の御言葉により、私の心の内に神が入ってくださったことを信じることができた。私はそのときから神の言葉に渇きを覚えるようになった。そしてこう祈るようになった。「主よ、聖書に書かれている真理をもっと教えていってください」と。
また、こうも祈った。「主よ、どうか妻を愛することができるように助けてください。私はよい夫、よい父親になりたいのです」。
神はその通りにしてくださった。イエス・キリストは私の内側に、神からくる妻への愛を与えてくださった。イエス・キリストは私たちの結婚生活をいやしてくださったのである。私たちは生活の中でまずイエス・キリストを第一にした。私たちがイエスさまに近づけば近づくほど、私たちはお互いに成長していった。

 

何ヵ月か過ぎ、私はより強く、イエスさまについて学びたいと願うようになった。ある夜、目が覚めて、主が私の部屋に強く臨んでおられるのを感じた。私はひざまづき、私の人生のすべてを主に明け渡した。そのとき、私は聖霊に満たされ、イエス・キリストを他の人々に証ししていく力と、神に人生のすべてを捧げる力を与えられた。
ドッティーと私は病人のいやしのために祈るようになり、神が奇跡をなされることを体験した。私たちの前で、目の見えない人の目が見えるようになり、耳の聞こえない人の耳が聞こえるようになり、癌がなおり、人々の人生が変えられていった。
私はこんなにすばらしい人生があるとは思いもしなかった。それは神の愛と平安と喜びと力に満ちた人生である。

 

1972年、私はアポロ16号に乗って、感動的な旅を経験した。私は当時よくこう語ったものである。「月の上を歩くなんて、1万年生きたって経験できないよ」。
けれどその興奮と充実感も、イエス・キリストとともに歩む歩み、永遠に続いていくこの歩みにくらべることはできない。

 

 

この文章を読まれたみなさんへ。どうか、次の祈りをご一緒にお祈りください。

 

「イエス様、私はあなたを私の救い主として、信じ受け入れます。私があなたに背を向けてきた罪を赦してください。いま、私の心の中にお入りください。あなたの十字架によって、私に永遠の命が与えられたことを信じ感謝します。これからの私の人生を、どうかあなたが導いてください。アーメン。」